なあ、ところで信号機のどの色が青だっけ?(交差点に差しかかる車の中で)

ぼくに見えてる"青"と、あの娘に見えてる"青"は、"同じ青"だろうか?
幼いころや思シュン期にそんなことをぼんやりと考えたことのある人はけっこーいるんじゃないかとおもう。

色、について考えてみる。

うちの色盲(色弱?)の犬はたぶん、当たり前だけれど、たとえば赤がぼくたち人間とは違う黒っぽい色に見えてる。
や、犬に限らず色弱の人。たとえば色覚(色の感覚)を担当している眼の、網膜の、視細胞の、すいたい細胞の、、仮に青の波長の光に反応する細胞の数が先天的にちょこっと少ない人(色弱の人)と、ぼくとでは、とーぜんだけど、同じ波長の光(青)が少し違った色に見えているだろう。
もちろん、ヒトは主に感光色素を持つ3種類のすいたい細胞で、いわゆる3原色的な強弱のバランスの中で光線を色として処理しているわけだから、青だけじゃなく、黄やミドリの光に反応する視細胞の数や感度によっても、相対的に見える色具合は左右されるわけだけれど、、話を進める上でこまかいことはどーでもいい。
で、ぼくやそういう人やうちの犬の、青やミドリや黄の波長の光に反応するすいたい細胞(の個数だとか感度だとか=個人差)をまったく同一条件になるよーに操作したとしたら(技術的に可能かどーかはさておいといて、、)、
ひいてはうちの犬も、ぼくも、すいたい細胞の数が先天的にチョコっとばかし少ない色弱の人においても、視覚世界/色世界を可能たらしめている光の取り入れ口である"眼"という感覚器の諸条件をまったく等しく同じに揃えることに成功したとしたら(未来の技術で!)、きっとうちの犬なんかも青とミドリの違いをはっきりくっきりと識別できるよーになるかもしれないし、、
だからといってぼくとまったく同じよーに高度に複雑な色を見分けられるようチューンナップされたうちの犬の目に、ある特定の波長の青の光が、ぼくに見えているのと"同じ青"に見えているのかとゆえば、やはり、必ずしもそーだとはいい切れないところに、冒頭で挙げたよーな色問題の本質があるのだけれど、、
今回はいちおう、眼の条件、及び脳に至る神経節細胞以降の諸条件までそれぞれまったく同一に揃えた場合、とりあえず皆"同じ波長の光が、同じ色に見える"と、そう仮定して話を進めよう。(この仮定は、どこかに一つの客観的な世界がある、みたいな方向にも行きかねないプラトンしゅぎ的重くるしさを孕んでいるがそれは無視して。)

そのうえで。
ぼくはぼくには見えない紫外線が何色なのか、をしりたい。

<いまのところにんげんには見えない、そしてチョウなんかの昆虫には見えている"紫外線"の色は、もしもぼくたち人間にも見えたとしたら、何色か?>


まず、ひとつ目の答えとしては、やはりいまのところはぼくたちにんげんには見えない色。いまだ誰も見たことのない色。じんるいの経験を超えた色。

、、、。

ハイハイ、なんていうか模範回答すぎてちっとも面白くないので、ふたつ目!
こんどはワレワレにんげんが見える(知っている)色の範囲で考えてみます。
ええと。にんげんに見える光の波長の範囲はまあだいたい約400〜800(条件によって変わるけど)ナノメートル位の波長の光。で、アゲハチョウに見えるのはだいたい約700〜300ナノメートル位の波長の光。 アゲハは700nm以上の波長の光は見えないけど、かわりに、にんげんには見えない300〜400nmの間の光=紫外線が見えている。
ここで、にんげんに見えてる範囲の色=約800nm〜400nmを、そっくりそのまま、アゲハチョウの可視光(約700〜300nm)の範囲に代入してみる。
つまり、800nm付近の光をぼくたちにんげんは"赤"として見ているかわりに、アゲハさんは700nmの光を"赤"として見ていることに。
で、ぼくたちの可視光の下限400nmあたりの光の色を、アゲハさんの可視光の下限300nmあたりの光(=紫外線)に置き換えます。
すると、アゲハさんに見えている約300nmふ近の光(紫外線)の色は、ぼくたちの可視光の下限の色と同じで、文字通り"ムラサキ"色。この場合、もしぼくがアゲハ蝶に生まれ変われば紫外線はムラサキ色として見える、ということです。

みっつ目です。
さいごは、最初に仮定したよーに、にんげんに見えてる"青"や"ミドリ"の波長の光は、チョウや他のどうぶつにとっても、誰にとっても同じように"青"や"ミドリ"に見える、という前提からはじめる。
よーするに、眼という器官の種類や精度や条件による見え方の差異はあれ、そもそも"光の波長"によって"色"は決まっている、という考え方。
そして、青と水色の間にはかぎりない無限の色がある、とかいいますし、まあある意味ではそーなのですが、そーゆーことじゃなくて、いちおう可視光の範囲には物理的に限界があり、言い換えれば、見える色の範囲にも限界があり、その間にしか色は存在せず、その意味では色は有限です(美術の時間に習ったかもしれませんが、色相環といって、色は、ムラサキ→藍→青→深ミドリ→緑→黄ミドリ→黄→オレンジ→朱色→赤→赤ムラサキ→ムラサキ、、みたいに同じところをぐるぐる繋がります)。
そして人間の可視光の両端(約400nm と 約800nm)も、物理的にはかけ離れているにもかかわらず、色の感覚的には見事に繋がり(下限のムラサキから上限の赤ムラサキまで)、つまりそのことは、ある意味で"色"が有限であることを示しているよーにさえ思えます。
そして、われわれに見えてるよーに、いえ、誰にとっても、にんげん以外のどうぶつにとっても、あらかじめ波長によって色は決まっている、もしも、仮に、万が一そうだとすれば、アゲハの可視光の上限の光(700nmの光)は人間でゆーところの"オレンジ"(アゲハもぼくもオレンジをオレンジとして見ている)。
そして、ぶつり的に離れているはずの可視光の上限と下限の色は繋がる(色相環)ことから、われわれには見えない紫外線(400nm以下の光)の色。つまり、アゲハは可視光の下限300nmあたりの波長の光を、アゲハの可視光上限のオレンジ色に近い"黄色がかった色"として、300〜380nmあたりの紫外線は"オレンジ〜赤"の色として見ていることになります。
もしもぼくの眼も、にんげんの身のままアゲハと同等程度の範囲の光まで見えるよーにチューンナップすることに成功したとすれば(未来の技術で)、目に見えない紫外線はぼくたちにもそういう色(オレンジ〜赤)として見えるかもしれないということです(そしておまけにアゲハさんの眼も改造しちゃえば、ぼくもアゲハさんもお互いに、今まで見えていた赤い花はもちろんのこと、いままで赤に見えなかった花まで赤の花に見える(世界はなんと赤の花の多いことか)かもしれませんね。)。

そう、これはサイエンスではなく、ブンガクです。


散文(批評随筆小説等) なあ、ところで信号機のどの色が青だっけ?(交差点に差しかかる車の中で) Copyright  2011-09-16 00:50:57
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