・
彼女は晴れの日でも傘を差している
雨を異様に怖がっているのだ
酸性雨を浴びると体が跡形もなく溶けてしまう
という話を子供のころに聞いて以来
ずっと信じているらしい
雨が降り出してから差すんじゃ遅いの
ちょっとでも髪が濡れたらそこから溶けちゃうの
繰り返し言う彼女の傘はあかるい緑色で
だからいつでも彼女は
夏の野原のただなかに
たった1人
しん、と立っているように見える
・
しんたろうくんっていうの
とあの子は
さもそこに恋人がいるかのようにわたしに紹介した
隣には誰もいなかったのだけれど
失礼にならないように
はじめまして、しんたろうくん
とわたしは手を差し出した
握手をする
振りをするつもりだった
だけど差し出したわたしの指先を
確かに誰かが
ごつごつした骨を持つ誰かが
遠慮がちに握る感触がして
そこに存在することを強く願い、また強く信じれば
それは本当にそこに居ることになるんだと思った
しんたろうくんとあの子はまだ仲睦まじく暮らしているらしい
― 同棲を始めました。
― 喧嘩は楽しくありませんが、仲直りをすることは楽しいです。
という幸せそうな葉書が先日届いたばかりである
・
体のありとあらゆる場所のサイズを測っては
帳面に細かに書きつけている人だった
親指の長さ : 5.5?(うち爪の長さ1.5?)
人差し指の長さ : 9?(うち爪の長さ1?)
太ったり痩せたりすると
その都度また測り直すらしい
眼の縦幅 : 1.5?
〃 横幅 : 3.3?
何のためにそんなことをしているのか訊いたところ
今の皮膚が傷だらけになってしまったので
新しく上からかぶる
まっさらで綺麗な皮膚を注文したいのだ、と言った
そんなものどこへ注文すれば作ってくれるの、と訊くと
無言で帳面の一番最後に書いてある
ひとつの電話番号を指さした
手首の直径 : 17.5?
帰宅してから
写してきた例の皮膚屋の番号にかけてみたけれど
機械的な女性の声が
この番号は使われていない
ということをそっけなく繰り返すばかりだった
・
細くなりたい、
細くなりたい、と言い続けて
友人は次第にうすべったくなっていった
細くなったのではなく薄くなったのであるから
自立することが出来なくなり
ほんの束の間ふるえながら直立しても
じき足元の床にぱさっと崩れてしまう
それで彼女は人でいることを諦めたのだった
いま
友人はわたしのうちの
クローゼットに掛かっている
首にゆるく巻きつけてやって
一緒に外出すると喜ぶ
友人はもうすっかり人の言葉を忘れてしまっているが
首元で身をくねらすときの具合で
どんな気持ちでいるのかわかる
鼻をうずめると
友人特有の甘い体臭が漂って
そのにおいを嗅ぎながら
まだ人だったころの彼女の声や
教室で眺めていた背中の丸みや
手紙に並べられていた癖のある文字のかたちや
そんなことを次々と思い出した
ずいぶん遠い思い出のような気がした