ホームステイ
北村 守通
見ないわけにはいかなかった。
人前に出て行くためには身だしなみを整えるのは最低限のマナーであったし、鼻の下のにきびがどうにもうっとうしくって、そういったものを確認しておくためにも、一日に何回かは鏡を見ないわけにはいかなかった。
けれども、彼女が来てからというもの、私は鏡を見るのがおっくうになり、その度にため息をついていた。
彼女がどこから来たのかは私は知らない。
彼女の名前も私は知らない。
けれども、彼女はいつの間にかそこに居て、鏡の前で確認をしている私のことをだまってじっと見ていた。何度か、コミュニケーションをとってみようと試みてみたが、いずれも失敗に終わった。彼女は黙ったままだった。彼女の表情は変わることがなかった。その視線は別に私を捉えている、という様子でもなかった。その視線の先になにがあるのか、何度かその方向を振り向いて確認もしてみたのだが、それらもまた失敗に終わった。ただ、彼女の関心は私にはないのではないか、と私は確証なき確信を持つようになっていた。
そういったわけで、いつどこでか分からないうちに、誰とも知らない同居人と生活するようになっていたのだが、これが少しばかり不自由なことなのだ、ということに徐々に気付くようになった。入浴中にも風呂場の鏡に映ってきているし、あるときにはジーンズショップの試着室の鏡にも映っていた。車を運転しているときなどは、ルームミラーやバックミラーにも映り込んでくるので、私は安全を確保するために、新しい視界になれなくてはならなかった。つまり、彼女の視線は決して私を捉えることはなくても、彼女の行き先はしっかりと私を捉えて離さなかった。
同居人が増えるということ、このこと自体はさしたる問題はない。多少、個人の嗜好の違いによるぎくしゃくとした悶々とした空気が発生し、切れない痰に呼吸が苦しくなるようなことはあるにせよ、そうした欠点を差し引いても楽しめることもある。けれども、それはお互いが干渉しすぎることのないための程よい距離というものが確保できた上での話なのであって、四六時中付きまとわれている今の状況においては楽しみという空間を構築させるだけのスペースが既に存在しなかった。。なんとも言えない閉塞感のために、私のため息の数は一日に必要な適正な回数を超えるようになった。おかげで、私は鏡の前で自由にポージングをきめることもできなくなっていた。
私は決意した。
十分に暗くなるのを待って、私は古びれたトンネルに向かった。途中、カーブミラーを確認してみると、彼女はやはり私の後をついてきていた。車の通りの少ないその道を一人で歩くのはあまり気持ちの良いものではなかった。正確には一人ではなかったのだが、コミュニケーションをとる術もない状況下においては一人であることと変わりはなかった。
トンネルは真っ黒い口をあけて私たちを迎えた。私には認識できない何者たちかの住居になっている場所であったので、私は失礼のないように軽く会釈をしてからそこをくぐった。途端、生暖かい空気の流れが私の周りにまとわりつき、色々と品定めをされた。色々なところを触られたり、もしかすると舐められたりしたので、セクハラだと訴えたかったが、そうした根性を持ち合わせては居なかった。かといって尻を突き出して見せるほどのサービス精神も持ち合わせてはいなかった。私の後ろには彼女が続いているはずだったが、どうなっているかを確認する術は持ち合わせていなかった。けれども、おそらくここには私よりも彼女と同質の存在が多く存在しているはずであったので、私と同居するより快適な空間であるように思われた。
ふと、まとわりついていた空気が流れ去り、体の周りが軽くなった。私は押し出されるようにしてトンネルを抜けた。彼女が居なくなったと思った。確証はなかったが、確信はあった。確証を得るために何をするべきかはわかっていたのだが、それを今行うことは適当ではないように思われたので、しなかった。
私は十分な距離を進んでからトンネルをふりかえり、お別れをいった。けれどもやはりトンネルとコミュニケーションをとることはできなかった。