幸福の条件
チャオ

最近まで、電話回線をとめられていた。つくづくお金がないとやっていけないと思った。かといって、手段を選ばず金が欲しいってわけじゃない。つくづく俺はわがままなんだと思った。

ようやく、給料が入って電話回線をつないだ。物事が、いい方向に動くことを願ってやまない俺は、神社へお参りへ行くことで安心する、軽い人生を望んでいるのかもしれない。電話回線がつながれば、宝くじの一等の当選番号が教えられるのではないかって、ひっそりと考えてみたりしていた。

街へ出れば、選挙がどうの、居酒屋がどうの、仕事がどうの。否が応でも耳にはいる会話は、決して捨て去れない俺の身代わりだったりもする。途切れがちな俺の瞬きのために、マツモトキヨシでは目薬を半額にしてはくれないだろうかと心のどこかで思っている。


旅行をすることになった友達が、すごく気合を入れて、観光地を調べて、いく場所を決めて、完璧な状態にして当日を迎えた。結局、大雨が降って、いくには行ったが、計画の半分も実行できなかったとぼやいていた。俺はその場で大笑いしていたけど、大好きなこと一緒に遊ぶ日が決まり、うきうき気分で居たら台風21号が来た。

給料の目算を立てて、それよりい多ければうれしいし、少なければ悲しい。単純だなって思ってたら、誰でもそうらしい。すごく単純な世界だ。だから、目算よりも少し少なく見積もってみる。これもみんなやってる技術だ。自分をだましながらでも、生き残ってやる。それぐらいタフなほうがいい。

でも、やっぱり繊細なままで生きることが出来ればかっこいい。給料に、一喜一憂して、天気に一喜一憂して。悲しむときに悲しめなければ、悲しいって感情の意味が誰にもわからなくなる。素直でさえあればいい。

誕生日にポールスミスのカップをくれた友人がいる。
誕生日にナイキのスニーカーをくれた友人がいる。

そういえば、ポールスミスのカップをくれた人はポールスミスが好きだった。ナイキのスニーカーをくれた人はナイキが好きだった。だから俺も自分が好きなものを上げようと思った。でも、俺が好きなものってなかなか喜んじゃくれない。考えてみれば、俺は何でも好きだから、その人が好きなもので、俺が気に入ったものをあげればいいことに気がついた。それを得意顔で友達に言ったら、当たり前じゃんって言われた。給料はみんなと一緒で、少なく見積もるくせに、こういうところはみんなと一緒の考え方が出来ないらしい。結局は自分勝手なのかもしれない。

イメージが大切なのはわかるけど、イメージばかり集めると気がめいってくる。掛け布団をかけているとこれが食パンだったら食べれるのにとか、彼女に彼氏が居たらどうしようとか。信じることは、真実じゃない。確信すること。目で見て、肌で感じ、それらを自分等身大で信じれること。結局は、布団は布団だし、彼女は彼女だ。俺のイメージなんて、この世にある限りの最小の数で表される可能性でしか、世界を変えることなんか出来ない。世界が変わることに賛成するわけでもないが、よりよい世界になって欲しいとは思っている。それがどんなものか、イメージしている。

静かな音楽が流れている。よく思うことがひとつだけある。きっと、みんなもそうだろうって思う。あらゆる宿命が、俺の体に重なり合って俺を作った。奇跡が日常に訪れてきて平凡さに身を隠しながら突然輝いたりする。それで、俺はそのとき思う。なんで、俺はここまで恵まれているんだろうと。

電話回線がつながったからって、突然歯車が重なったりしない。いびつにぶつかり合いながら、ようやく互いを確信していくのだ。
全ての不幸のために何をすべきかはわからない。

僕よ、偽善を抱け!

僕が笑えば、周りも笑う。だから僕は幸福になっていいのだと確信できる。


散文(批評随筆小説等) 幸福の条件 Copyright チャオ 2004-11-18 03:26:46
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