おびえること
はるな


みじかく、強めの雨がふる。もうやんだかなと思えばまた降り出し、まだ降っているかなとおもえばもうやんでいる。そんな調子で。

ぼうっとして、すこしずつ痩せたり、太ったり、食べたりしている。
子どもたちは夏やすみ。朝番で出勤するときには、だいたい九時ちょうどに公園のわきを通り過ぎるのだけど、そこではすでに子どもたちがわらわら遊んでいる。朝の清潔な木陰、驚くほどなめらかに茶色い肌。どの子も生え際に汗をかいているのが、遠目にもわかる。子どもたちは潔い。走りたいだけ走るし、転びたいだけ転ぶし、転べば泣きたいだけ泣く。夏やすみ、朝の九時ちょうどの公園なんかではとくに。

たぶん、むかし、転ぶことは、そんなにこわくなかった。
というよりも、予想できなかった。転ぶことはほんの直前になってきゅうに目の前にくる事実であって、そこにはこわがるすきも怯えるひまもなかった。
それが、だんだん、あ、転ぶぞ、転ぶな、と、予期できるようになって。手をつくことを覚えて、かわしかたを覚えて。
そうしてまた、転ぶということが、どういうことがよくわからなくなって。

いまでは、腕を切ってしまうときなんかは、それにすこし似ている。
切ってしまいそうだな、切るかな、切ってしまうかな、とうっすら思って、それで、実際に切ってしまえばほっとする。肩の荷が降りるというか。ああ切ったな、やっぱり切ったなあ。そう思う。

なんで自分から転ぼうとするんだろう。
わたしが思うのは、それはたぶん、転んでしまえばほっとするからだ。
いつだってそうだ。わたしは、おびえること自体に、いちばんおびえている。


散文(批評随筆小説等) おびえること Copyright はるな 2011-08-25 22:54:41
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