罪人は夢を見る
五月(gogatu)

1.

可奈子、
僕たちは罪人だ
はだけた白いシャツ
現れた薄桃の素肌
汚れたのは唇
罪悪に苛まれた視線が交差し
重なり合った手と手
温もりを感じる資格もないほどに
僕らは罪を重ねてしまった

可奈子、
僕たちは罪人だ
胸元からナイフで掻っ捌き
現れた薄桃の内臓を抉り
肉を咀嚼する唇
罪の意識をまるで感じないで
僕らは生きている
重なり合った目と目
そんな風に笑っていられるのも今のうちだ
可奈子、
僕たちは罪人だ

紫丁香花の首をはねた
ある春の日の空が、あまりにも澄んでいたから
可奈子の長く茶色い髪の毛が僕の太腿をさらさらと流れる
契約で成り立っているだけの関係を嘲笑うように
まだ冷たい、夕暮れの水槽に突き落とした
黒い睫が、薄汚い涙となって水に溶け落ちる
水面に沈まないよう必死に踊れ
死にたくないと泣き叫びながら
苦しい、
息をしたい、
生きたい、
(行きたくない…
僕らはそうまでして
(課せられた呼吸困難と時折の恐怖

可奈子、
水底で横たわる人魚
時計の針が進むことはない
力なく俯き、そのときを待つ
僕たちに帰る場所はない

罪人だ
僕たちは罪人だ
窓硝子の向こう側で
星たちが点灯した
限りなく広がる暗闇の向こう側で
いくつの文明が塵と消えたのだろう
僕らが罪を感じたり
またそれを償おうとしても
まったく関係なく全ては終わるだろう
突然に

(可奈子、
僕たちの未来
(可奈子、
僕らはなぜ

そもそも一切に意味はない




2.

こんばんは
夜は霧に包まれて、自宅へと続く長い階段はいつもよりも急な勾配で
階下には驚くほど小さくなった町の明かりが頼りなく
階上を見上げても得体の知れない薄暗い闇が広がっていて

お久しぶり
夜は霧に包まれて、上空からの向かい風は次第に強くなりはじめ
見慣れたはずの景色はどこか余所余所しく感じられ
風に煽られた木々は耳打ちをするかのようにざわつき始め

体調はどう?
夜は霧に包まれて、いくら登ろうとも頂上にたどり着くことが出来ず
疲弊で足は震え、焦燥で唇は震え、呼吸は乱れて
身体を這い蹲るように前傾して、それでも登り続けて

元気ですか?
夜は霧に包まれて、いつしか風の音は甲高い女の叫び声に変わり
ただ眼球だけで女の姿を探しながら、もう一歩も動けなくなってしまって

お母さん
夜は霧に包まれて、何度も何度も行き来していたはずの階段なのに
突然、何かに突き動かされるように真っ逆さまに落ちてしまう気がして

僕は穢れてしまったから
こうして地獄へ落ちるのです
あなたはそれを見て悲しむでしょうか
いいえ、当たり前だと思うのでしょうね
けれど、あなたの意見なんかどっちでも良いのです
あなたにとって大切なのは、僕がどうなるのかではなく
自分がどうなるのかというところに尽きるのでしょうから
ですが、もう遅いのですが、悔い改めたいとは思うのです
無垢で潔癖な心を手に入れたかったのです
あなたの言うとおり、自分に嘘をつかずに
清く正しい行動をとっていれば
僕は立派な大人になれたのでしょうか
いいえ、そもそも其処に意味はない
お母さん、
お母さん、僕です。罪人です
夜は霧に包まれて、誰かの足音が背後から追ってきていることに
気づき、気づく
甲高い女の叫び声の正体が自分の絶叫であることに
近づいてくる足音が自分の心臓の鼓動であることに

夜は霧に包まれて、少しばかり強い風が吹き
煽られた木々がわさわさと揺れている
学生がすぐ傍を通り過ぎていく
階段で這い蹲っている男を
訝しそうに眺めながら

在るのは
事実と事実の積み重ねだけだ


自由詩 罪人は夢を見る Copyright 五月(gogatu) 2011-08-14 12:59:28
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