私の関心事
番田 


俺自身にとってはパウルクレーの絵ですらどうだっていいことだ。彼の絵を参照するのなら、マレービッチを拝んでいた方がより懸命である。シャガールだとか、ルノワールは嫌いだった。ミロもルオーもイラストレーションのように私の目には映るのだ。芸術であることの選択肢が限られた作品が好きだった。ピカソもマチスも人によっては好き嫌いがあることだろう。あるひとはマチスのダンスを見て不気味な色づかいの絵であるといったものだ。セザンヌもそうかもしれないが、好ましいとされるイメージからかけ離れたものが、芸術としての価値をはらんでいるものなのである。


だからこれから発表されるような作品にはいつもアバンギャルドなものを求めている。束芋のような作家が日本代表としてベネチアビエンナーレに参加したこと自体が、非常に不愉快だ。束芋が出るくらいだったらそこいらのギャラリーで展示している学生でも出した方が、よほどマシだったのである。


名の知れた作家の作品ほど信用できるものはないのだということはオリコンチャートを見ても一目瞭然である。人は知ろうともせずにものごとを理解したような気になっている。そこで立ち止まることを知らないのだ。日本人もようやっと印象派を理解し始めたと聞くが、それも微妙な話しかもしれない。適当な場所に目がいきがちなのかと言うと、そうでもないはずなのだが。






自由詩 私の関心事 Copyright 番田  2011-08-12 03:04:45
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