奪うのこと
はるな


ある種の恋愛をすると、わたしはかなしくなってしまう。それが順調にいっているかそうでないかとは関係なく。むしろ順調にいっているときに。途方もなく、きりもなくかなしくなってしまう。意味もなく、理由もなく。

わたしは彼らの時間をねだる。そしてわたしはわたしの時間を差し出す。彼らにわたしの時間を自由に操作させるためではなく、彼らがわたしの時間を欲するかどうかを知るために。そうしてそのあとで思想や身体を分け合う。(でもそれはむろん、時間と比べればとるにたらないものだ)。

欲されるということは、わたしにとって幸福なことだ。満ち足りた気分になる。わたしはいつでも惜しみなくあげたいと思っている。あげられるものであれば何でも。
でもひとつ例外は、わたし自身を欲されることだ。もちろんその場合にもわたしは幸福を感じるだろう。けれど幸福を感じながら途方もなくかなしくなってしまう。だって、だれも、そのひと自身を差し出すことなんて出来はしないのだ。

そのひと自身(というものがあるとして、)を手に入れることなんて、誰にもできない。それはいつも、ただ奪われるだけだ。気付いたときにはもうすでに奪われているものだ。逃げるひまも、抗うひまもなく。一瞬で。根こそぎ。奪おうとして奪えるものではない。自分でも気付かないうちに奪ってしまっているのだ。そうして、あとで、奪ってしまったことに気付く。奪うっていうのはそういうことだ。奪われるっていうのは。

そうしてあなたが奪ったそれは、しだいにあなた自身になる。望むと望まざるにかかわらず。

わたしたちは、そのとき、たぶん同時に気付いたのだ。奪われてしまったということと、奪ってしまったということに。好きだとか愛しているとか言えるならまだましだった。腕ずくで組み伏せてしまえるならまだましだった。そういう言葉も、行為も、ぜんぶ奪い合ってしまった。お互いに。同時に。そしてそれでも残った部分全部でまだ好きだった。笑うことも、泣くことも、できずに、離れることも、抱きあうこともできずに、同時にそのすべてを強く望んでいた。そういう恋愛をした。気持ちが静かなのか、波立っているのか、自分でもわからなくなった。はりつめた水のいちばんぎりぎりのところに浮いているようで。深く、沈んでいるようで。あらゆる気持ちや物事が両極を孕み、それが矛盾せず存在する場所にいた。
こんなに遠くまで来られるとは思っていなかった。

わたしたちは、きっともうあまり一緒にはいられないと思う。と同時に、今すぐにでも会うことができる。知らなかった。奪い合うことが、こんなにも静かなことだとは知らなかった。知らないままでいればよかったとも、少し思う。嵐の日に、ふかい水底にいるやどかりみたいな気持で。


散文(批評随筆小説等) 奪うのこと Copyright はるな 2011-08-11 04:13:50
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