自分の脳みそを信じる
番田 


何もしたくはないのだと私は思っていたのかもしれない。誰にも声などかけられたくはなかった。死にたいという気持ちだけが、何よりも強くなっていたのかもしれない。芸術の可能性などありえないということが私や世界に生きる人々の歩調を殺している。


ブルックリンやストラトフォードにある喫茶店にももう、色々な国から集まるようなアーティストなど来ることはなかった。全ては白人によるマネーゲームなのだということにようやっと気づいたらしかった。アンディウォーホルやジャスパージョーンズによるはなばなしいアメリカの現代美術など今では紙切れほどの価値しかない。世界中のギャラリストたちはそれに気づいている。気づいていないのは日本のセゾンなどの美術館や、色々な学校などで価値観を植え付けられてきた疎開児童のような地方出身の子供たちだけ…。


上司や先生が言うことを鵜呑みにしすぎるのが我々の悪いクセだ。そのたびに裏をかかれて、我々はへまをやらかしている。真の芸術はヨーロッパの中にしか無いのであり、デュシャンの登場によって終止符は打たれた。その後に登場した様々なアメリカを中心とする作家など残りカスのようなものなのである。


確かに今我々が趣向すべき美術の姿は曖昧である。しかし音楽はどうだろう。現代音楽など古くはモーツァルトやベートーベンによって作られたものと比較して、鑑賞に堪えるものだと言えるだろうか。否である。我々は美術に関しても例えばピカソやマチスのコピー品を作り出すことでしか、その恩恵にあずかることはすでにできないのである。


今日手に取った美術手帳にはベネチアビエンナーレという世界中のアーティストを紹介するという展覧会が載っていたが、そのどれもに現実感はなかった。



自由詩 自分の脳みそを信じる Copyright 番田  2011-08-09 01:20:44
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