頬杖ついて花火を見た
はだいろ

神宮の花火大会へ行った。
どうして、
人ごみに吐き気ももよおすくせに、
そんなところに、行ったのかというと、
彼女に、浴衣を着せたかったから。
ちょっと黄味がかった、
トンボもふわりと浮かんでる、
ピンクの帯もかわいくて、
イトーヨーカドーのおばちゃんに、
無料着付けをしてもらっているあいだ、
ぼくは本屋さんで待っている。


昼間、
落語会があったので、
帯がつぶれないように、
いすにもたれずに、
姿勢が苦しそうだった。
神宮球場では、
中村雅俊が歌っていた。
宮城県出身なのだそうで、
宮藤官九郎と、いっしょに、東北の歌を歌った。
夜に花火があがり、
その上を、行ったり来たりする遊覧飛行の灯りがうっとうしかった。
もっとでっかい花火、
一発でいいのにな、と思った。


そういえば、
ぼくの中学校の同級生で、
花火職人になった奴がいる。
何年か前に、ニュースにもなった、
爆発事故で、死んでしまった。
死んでしまったといえば、
これも何年か前、
ぼくの小学校の同級生で、
都の水道局に勤めてた奴も、
水道管の爆発で、死んでしまった。


今日は、
仕事帰りに、渋谷まで、
落語を聞きに行った。
ぼくはてっきり、あの地震で中止になった、
創作落語の仕切り直しだと思っていたら、
ぜんぜん違った。
昇太の「親父の王国」がすばらしかった。
ぼくも、
つい、
部屋の引き戸を開けたら、
地下へつづく階段があって、
扉をあけると、
小学校の上履きを履き替えるところで、
死んでしまった同級生と、
よー!
おはよ!
なんて、
一日のきらめく冒険の相談をする気分になった。


浴衣の彼女を連れて歩くのは、
いい気分だったけれど、
こうして、書いていると、
なにか、
素敵な彼女のような気もしてくるが、
それは明らかに錯覚で、
ぼくは、
恋というのは、
その人といると、
音楽が流れるということではないだろうかと思う。
彼女といても、
何の音楽も流れてこない。
だからこそ、
自分が歌えるのかもしれないけれど。








自由詩 頬杖ついて花火を見た Copyright はだいろ 2011-08-08 23:00:09
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