その立体はわたしたちの団地を支配していた
リンネ

 彼らはその砂場にしゃがんで砂をつかんでいた。だれに聞いても、いつから彼らがそこにいたのかは分からなかった。それほど長い間そこにいたのだった。砂場は白いコンクリートのふちに囲われていた。そのふちは公園の華やかな花壇に囲われていた。そして公園は団地の立体に囲われていた。ところがその団地が何に囲われているのかを彼らは知らなかった。なぜなら彼らは砂場で山をつむのに忙しかったからだ。彼らは砂をつんでいた、そして山をつくっていた。なぜなら彼らはみんなぽんこつだったからだ。つまり彼らのねじはひどく歪んでいたのだ。それははじめからだった。彼らが初めて抱かれたとき、母親はそれに気づいていた。彼らのねじはいかれていて、奇妙にお辞儀をしたような形だった。それで彼らはぽんこつだった。
 立体に囲まれた公園は人びとで溢れていた。それは子供で溢れていた。もちろん子供たちはぽんこつではなかった。公園の中には警官もいた。警官たちはみんなぽんこつだった。すべり台を流れる子供たちの笑い声のうしろから、警官たちの視線は影のようにつきまとった。ぞっとするような、腐ったものが動くような遅さで警官たちは動いていた。それで老人たちはぽんこつだった。そして警官たちのうちの、とりわけ威勢のよいひとりは、砂場にうずくまる彼らを乱暴に指さしていた。指さしてわめいていた。
 「とんでもない、彼らは見えないんだ。目が見えないんだよ。てえことは、ありゃ、耳で見てるんだなあ。いや、とんでもない、あの耳でだよ、きみ。あの耳でわたしたちを見てんだ。それは気味悪いってもんよ。え、え、え? もし目があったところで、どうにもならないじゃないか。それで見るだけだよ。今度はじっと目で見るだけだよ。ともかく、わかったかい、彼らは目が見えないんだ、それなのに見えてるにはちがいないんだ。ほんとうに、わたしたちを見ているんだよ。あの耳で、いつもわたしたちを見ているにちがいないんだ。そりゃあぞっとするじゃないか、え?」

 それは立体のはるか向こうで見下ろしていた。慈悲深い太陽、砂場にいる、ねじの曲がったぽんこつの彼らを見ている、慈悲深い太陽。それはひどく広い空に浮かんでいた。太陽はいつでも立体を見下ろしていた。太陽にとって立体とはとるにたらない汚れに過ぎなかった。しかし立体はといえば、立体はこの団地を、この団地の住民たちを見下ろしていた。そして立体にとって、それらはとるにたらない汚れに過ぎなかった。立体はそれほど完ぺきだった。それですでに団地内には、ぽんこつの彼らの入り込む余地など少しもなかった。それはぞっとするほどの完ぺきさだった。たったひとつの窓すら開かれていなかった。どのドアにもしっかり鍵がしまっていた。おのおののドアはすべてちがう鍵によって開かれるのを拒んでいた。それでいてどのドアも見た目は同じだった。同じものでつくられていた。同じ形に、同じ厚みに、同じ冷たさだった。それでいて鍵はみんな違うのだった。もはや団地のいかなる隙間にも彼らの存在する余地は残っていなかった。立体はそれほど完ぺきだった。
 ところがあるとき、立体は砂場に突き刺さったまま動かなくなった。ぽんこつの彼らはいつもと同じようにその砂場で山をつんでいた。ところが立体のある場所だけは、山をつむことができなかった。それは彼らにとってひどく気分の悪いことだった。彼らのうちのあるものはひっきりなしに吐き続けた。吐いた物には涙が交じっているようだった。それは砂場に流れた。流れて山を崩した。わたしたちはすぐに代わりになる山をつまなくてはならなかった。ところが新しい山もすぐに流れてしまった。なぜなら次から次へと彼らはおう吐したからだ。なにもかも砂場に突き刺さった立体のせいであった。あるものは怒りはじめ、立体をくりかえし殴りつづけた。あるものは聞いたこともない汚い言葉で立体をののしった。あるものは、これはわたしたちのせいだ、責められなくちゃいけないのはわたしたちのほうだ、と提案した。もっともだ、とそれに賛成する者たちが現れた。どうしたらいい、と尋ねる者もいた。わたしたちはぽんこつだ、どうしようもないじゃないか、とあるものは立体に寄りかかって泣き崩れていた。泣けばいい、泣けばいい。とわたしたちは口ぐちにののしり合った。泣けばいい、泣けばいい、といいながらわたしたちは砂場に転がっていく大きな球に目を奪われていた。それはわたしたちのうちのひとりが吐きだしたものだった。それは立体に向かって転がっていった。それは慈悲深い太陽のようだった。なぜならその球は眩しいくらい光っていたからだ。光りながら球は転がっていった。そしてそれはしゃちこばった砂場の立体にぶつかった。するとたえがたいほどの光が一瞬燃え上って、そのまま球は消えていた。わたしたちは予感していた。それは何か霧を晴らすような予感だった。ところが、依然としてわたしたちはぽんこつのままだった。しかし少なくとも予感はあったのだった。砂場には水たまりができていた。水たまりの中に映ったのは慈悲深い太陽だった。わたしたちはぽんこつであった。それを慈悲深い太陽は照らしていた。照らしながら、水たまりの中からこちらを見上げていた。太陽はわたしたちぽんこつに見とれていた。ぞっとするほど見とれていた。しかし次の瞬間にはその太陽も消えていた。そしてわたしたちは背中が氷のように冷たくなるのを感じていた。立体がわたしたちに迫ってきていた。
 
 立体はわたしたちと太陽との距離をどうしようもなく遠くへだてていた。その距離がどうしようもなく冷たく哀しいために、わたしたちはやはりぽんこつであったと感じざるを得なかった。立体はすっぽりと隙間を開けていた。あれほど厳重に閉じられていた隙間が、今ではことごとく開いていた。その中はぞっとするほど広びろとしていた。わたしたちのだれ一人泣いていない者はいなかった。わたしたちはみんなあかんぼうのように泣いていた。ぞっとするほど泣きわめいていた。わたしたちは生まれたときからねじが歪んでいたのだった。歪んだねじでぎりぎり体をつなぎとめていたのだった。わたしたちは立体の中で泣いていたのだった。そして左手を見れば、わたしの左手はいつのまにか立体になっていた。気づけば右手も立体だった。ひじも、肩も、どうにかしてからだじゅうが立体に変わっていた。立体がわたしたちを支配していた。団地を支配していたように、立体は、今度はわたしたちをも支配し始めたらしかった。それでいて、依然として立体は団地をも支配していた。そして団地はといえば、団地は慈悲深い太陽によっていつまでも照らされていた。空はぞっとするほど広びろとしていた。耐えがたいほど広びろとして、澄みきっていた。
 そして砂場ではあいかわらず立体が突き刺さっていた。立体の周りには子供たちがあつまっていた。子供たちはみんな長い枝棒を手にしていた。それを使って、強く立体をうちすえていた。強く何度もうちすえていた。くりかえし、くりかえし、子供たちは公園の砂場で立体をうちすえていた。

 いつしかその子供たちも、みんな立体になっていた。しかし慈悲深い太陽はいつまでも空に浮かんでいるだろう。そして立体は、立体すらいつしか死んでしまうだろう。死んでひとつぶの砂になるだろう。たったひとつぶなのだ。それで十分なのだ。そして風に流されて消えてしまうだろう。
 そうだ、立体は消えてしまった。もうないのだ。わたしたちの中にも外にも、どこにもないのだ。しかしそれは、あたりまえにまたどこからか吹いてくるのだ。なぜならほんの少しの隙間があれば、それで戻ってくるのに十分だからだ。なぜなら立体はたったひとつの砂つぶに過ぎないからだ。それはどこにでも落ちている。あるいは今も空に浮かんでいる、たったひとつぶの、とるにたらない砂に過ぎないからだ。つまりわたしは、そのひとつぶの砂におびえているというのか? たったひとつぶの砂の侵入におびえて、またこの団地のこの家の、いたる隙間を埋め続けなくてはいけないのか? 家の中ではあかんぼうが生まれていた。ぞっとするほど泣きわめいていた。母親は抱きかかえて言葉をかけていた。その言葉に意味はなかった。そしてそのなきごえは閉じられた立体の中で反射し続けていた。どこにも逃げ場はなかった。それでいて外には広びろと空が広がっていた。空は耐えがたいほど広びろとして澄みきっていた。砂はどこにも見えなかった。広い空のどこをさがしたって、一粒の砂さえみつからなかった。天井が少しずつ低くなっていた。低く低く。そしてあかんぼうは泣きやまないのだ。母親は言葉をかけるがその言葉に意味はないのだ。低く低く。天井が迫った。フローリングがせりあがった。壁が近づいてきた。あかんぼうは泣いた。母親の言葉に意味はなかった。わたしは立体になった。




自由詩 その立体はわたしたちの団地を支配していた Copyright リンネ 2011-08-04 12:53:12
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