おもいでの丘
木屋 亞万

帰るべき家があれば
来た道を戻るということは
当然のこととなるが
家を持たぬ旅人は
どのように歩いても
片道の往路でしかない

家と目的地を往復するだけの
平凡な毎日に
何も疑問を持たない頃は
私もチャックの開閉をするように
通学通勤の道筋を往復していた
朝に一日を開き
夜に一日を閉じる

ふとしたときに人生が
過ぎた時の戻ることのないものだと気づいた
家に帰るように
赤ん坊に帰ることは出来ない
この世に生まれて
ただ終着のどこかまで
時を進んでゆくしかない

「人生は旅だ」と言った人の
どうしようもない寄る辺なさを
私はようやく思い知った
人生を振り返るのは
過ぎた時を引き返せないから
遠くから眺めるしかすべがないからなのだ

つらい坂道を登っているときなどは
ついつい後ろを振り返る
過去の道の上には
夕陽の剥けた皮や赤い果汁が
橙色の果実の切れ端とともに
なつかしい光を放つので
過ぎた時がおぼろげになる

旅人は別段急ぐ必要はない
絶対的な使命や目的があるでもない
寂しいときは膝を抱えて
ずっと過去を見つめている
そういうおもいでの丘を
いくつも背後に残しながら
追えば逃げる未来へと
少しずつにじり寄っていく

どこへも着かなくても
構わないのだ
ほんとうは
おもいでが降り積もるのをながめて
おもいでが解けていくのをかんじる
おもいはいつでも今ここの
わたしの中にあって
外に出たおもいは
おもいでになって
後ろでなつかしく光る
光ってそっと背中を押すのだ


自由詩 おもいでの丘 Copyright 木屋 亞万 2011-08-04 03:18:53
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