桃のこと
はるな


果物はみな少なからず官能的だと思うのだけれど、桃なんてその最たるものだ。たたずまいや、匂いや、舌触りや、もちろん味も。
桃の皮を剥くのって、肌を剥くのとも似ている。薄皮を剥がす感じ。熟れた桃の、するすると剥ける皮の従順さ。

わたしは、女性だけれど、女性も愛することができるから、桃を食べるときにかんじる官能は女性を抱くときのそれに近い。皮に頬ずりすると、ちくちくと痛いのを知っていた?あんなにうすく、透けるように見えるのに。それもまるで、女の子と似通っている。

女性は、たとえ女の子でも、女が何かをほとんど知っているけれど、男の子ってそうじゃない。男(男性も、男の子も含んだ「男」)について、男の子から得られる知識って、あまりない。女の人や、経験からわたしは男についてだんだん知った。女の子はそうして、女でいる術や、女の子に戻る技を身につける。でも、たいていの男の子って、男になってしまったら男の子には戻れない。(ここで言う男って、セックスの経験の有無では、もちろんないよ)だから男の子って好き。ばかで、のろまで、見ていて胸が痛くなる。

でもたまに、男の子のままでいられる男のひとがいる。そういうひとって、たいていたちの悪いひとなんだけど、女のひとたちはみんな惚れてしまう。それはかなしいみたいな才能で、そのかなしさがみんな好きなんではないかしら。いつだって女の子はかなしみたいものだもの。地に足のついた悲しみを得るには、女の扱いを知っている男に任せるのが良い。いつかは目が覚めて、きちんと日常に戻っていける程度のかなしみ。
女のひとたちは、いつだって桃のようにあざとく肌を剥くけれど、その桃だって、若いと林檎のように剥きにくいものだ。もう戻れないと知っていてそれでも望むから、剥いた肌があんなにじゅんじゅんと柔らかくなっていくにちがいない。熟れすぎれば肌が黄ばむことなんて、とっくに知っていながら。



散文(批評随筆小説等) 桃のこと Copyright はるな 2011-08-02 00:26:08
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