マヨヒガ
三条麗菜
その家に入ると
今しがた誰かがいたかのように
明かりが灯されていて
食事までも用意されているのです
でもそこに
人は誰もいないのです
これは深い森で迷った果てに
たどり着くという
一軒の家の伝説です
この家から何かを持ち帰ると
幸せが訪れるといいます
森をさ迷うように
私は自分というものが
蝶であるか蛾であるか
見極めようとして
ずっと生きてきました
鮮やかな羽根を持ち
太陽の光の下で
花の蜜を吸うような存在か
くすんだ羽根を持ち
月の光の下で
樹液を啜るような存在か
実際のところ
昆虫としての差は
少ないというのですが
愛され方はずいぶんと違います
細くなった腕をさしのべ
光をくださいと
光をくださいと
ここに一匹の蛾がいて
ある日家に出逢いました
その家には優しい明かりが
灯っていたのです
家の中は今しがた誰かが
いたかのようで
誰かのための食事も
用意されていました
それは温かい食事です
小さな椅子もあります
子供部屋では
おもちゃが散らかったままで
洗濯機には
干しかけの洗濯物
書斎には
勤め先の書類と
ノートパソコンが入った鞄
でもその家には
誰もいないのです
誰一人いないのです
その家は
私が捨ててしまった未来
だから早く取り戻さなければ
早く光を浴びて
私は蝶になろう
蝶に戻ろう
蛾は迷わず誘蛾灯に飛び込み
一瞬にして焼かれました
その時放たれた光が
あの細い腕まで届きます
そして誰かが持ち帰るのです
蝶になれなかった
蛾の亡骸を