【批評祭遅刻作品】自分の体臭で書かれた詩
るるりら

道を歩くと つい最近まで、卯の花や すいかづらの匂いがしていたけれど、季節は進み 香の蒸散するスピードも早くなり、このごろでは すっかり緑の陰ばかり探してしまいます。神社の石段下っていると 眼下に鳥居が見えました。なにげに 鳥居のほうに 手をかざすと わたしの手首には 広島市があるなあと たわいもなく 思いました。静脈が広島の川にみえたのです。静脈と腱に囲まれたデルタのような部位は、現在では名前ごと 融けてしまった 中島町だなあと。

そして、身体に怪我がなくても 自らの血の匂いのことを 知っていることを 思いました。1945年のあの日から廣島はヒロシマになりました。ヒロシマでは、それはそれは多くの酷な話が語り継がれてきました。 


呼びかけ
峠 三吉 作




いまからでもおそくはない
あなたのほんとうの力をふるい起こすのは おそくはない
あの日、網膜を灼く閃光につらぬかれた心の傷手から
したたりやまぬ涙をあなたがもつなら
いまもその裂目から、どくどくと戦争を呪う血膿をしたたらせる
ひろしまの体臭をあなたがもつなら

焔の迫ったおも屋の下から
両手を出してもがく妹を捨て
焦げた衣服のきれはしで恥部をおおうこともなく
赤むけの両腕をむねにたらし
火をふくんだ裸足でよろよろと
照り返す瓦礫の沙漠を
なぐさめられることのない旅にさまよい出た
ほんとうのあなたが

その異形の腕をたかくさしのべ
おなじ多くの腕とともに
また堕ちかかろうとする
呪いの太陽を支えるのは
いまからでも おそくはない

戦争を厭いながらたたずむ
すべての優しい人々の涙腺を
死の烙印をせおうあなたの背中で塞ぎ
おずおずとたれたその手を
あなたの赤むけの両掌で
しっかりと握りあわせるのは
さあ
いまでもおそくはない

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わたしの父と弟は かつて原発で働いておりました。
わたしは核の恐ろしさを教育されて育ちましたが 
わたしの家族は稼動する核に近いところに 居た時期がある訳です。
しかし、その父も弟もそして祖父も ある年に なぜだか同時に亡くなりました。父は癌、弟は 熱中症、祖父は老衰。家族が同時に亡くなったことで、戦争というものが 以前より すこしは解ったような気がしていました。けれど、それも 甘かった。

わたしたちは、感じたらとらなければいけないことがあるのに 感じ取ることができなくなってはいないでしょうか?
ネットの世界では、相手の姿が見えないことをよいことに ときに罵詈に際限がなくなることがあります。あれは人々の憎くとも本音でしょう。しかし、私はテレビをつけて ハエと格闘しておられる被災地の方の姿を見させていただいて、ふと思ったのです。

匂いがない、と。ネットの伝達でおなわれるすべてのこと、それから画像や動画で伝達できかねること。それは、匂いです。自由闊達に心をつむぎ合っていますが、わたしたちの言葉には匂いが 欠けがちです。
真空パックされた食品のように 人々は匂いのない文字を組み立てていることが多いと 感じました。 

ひろしまの体臭を持つ人の話に なんとか耳を傾ける手段はないものかと思います。それはとても必要な気がします。呪いの太陽は、メルトダウンしました。昨日は震災から四ヶ月が過ぎました。わたしは、今 福島を思わずにはいられません。

ヒロシマナガサキには内部被曝という概念がありませんでした。広島では 植物が育たないといわれていました。それだけに、芽吹いてくれたものに感謝し、がっしがっしと 喰らいついてきました。広島には広島の体臭があった。この峠 三吉 の一遍の詩なら 福島に寄り添える気がします。

呪いの太陽は、メルトダウンしたとしても
わたしたちは、終わってないです。
わたしたちは、いまからでも おそくはないです。
自らの心に問い、ほんとうの言葉を さがしましよう。


自由詩 【批評祭遅刻作品】自分の体臭で書かれた詩 Copyright るるりら 2011-07-12 09:40:03
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