ある燃料
榊 慧



すぐに俺の性質によって打ち消されるそれを、ただひたすら肯定されてみたい。肯定されたい。ずっと肯定していてほしい。「肯定してほしい。」口に出した事はない。しかしずっとそう思っている。
肯定されたい、とにかく肯定されていたい、肯定されてみたい。誰か、といっても誰でもいいわけではもちろんないのだが、誰か、に、肯定されたい。という思い。それだけだった。過去形ではないけれど。


一回肯定してくれたとしても俺は俺の性質によってそれを打ち消すだろうし、打ち消すに足るものがあり、それはとても膨大で延々と続く。タンクで茹で死にするのを耐えているようなそんな気分のものが大きく垂れ下っている。例えば、袋なんかに入って。
だから、しつこいように俺はすぐ打ち消す。だからだから、もっとしつこく肯定してくれて、それで俺はタンクの中でようやく耐えきれるものをつかむ。ふちだとか。手を掛けるものがやっと見つかり、それに手を掛ける気分に近付くのだ。やっと。



批判したいものは溢れていて否定したいものは溢れかえっていて、死ね、死ね、死ね、という気分になる聴覚過敏。あとは視覚、視界、とか。指摘してやってもそいつにとっての正論(と思っているもの)で返されるだけだろうからしない。お前、そうなんだろう。いや違くて、とかそういうのは、自己正当化だ。嫌いだ。
人を嫌いなんじゃない。
人の側面、内面、ある面が嫌いなだけです。



「お前死ねよ」が転じて「死にたい」にいつもなる。このパターン。
ロジックを理解して認識しても俺は俺をコントロールできない。できたらいちいちイライラ人はしないだろう?それと似ている。多分。殺したいとか死んでほしいとか実現しないしできない、だから死にたくなるんだよ。いつも。自分で自分が嫌だよ。でも無くならないんだよ、だからますます自分が、自分のことが嫌だ、憎悪すべき人間!
(そして自分のことを憎悪するに至り、「死ぬしかない」ないし「死にたい」になるというロジックはおわかりいただけるだろう。)



もし俺がヌードモデルでもしたらケッサクすぎて警察がきて破り写真はちりじりになるだろう、
ひどいものだから。
嘲笑の的に俺はなる、嘲笑される、ははは、夜、電車の窓に写る俺の顔は特徴のないのっぺりとした死神のようなものだった、抑揚がないとでもいうのか、知らないけど。


ほめられたいなんて思わない。定石。定石ってなに?頭悪い俺でしゅ、はは。
「肯定されて肯定されて肯定されて肯定されてみたい。」お前じゃだめだ、お前じゃなくって。なんてね。はは。


前にも言ったけど、誰かに肯定されたいけど、でも誰でもいいっていうほど馬鹿じゃないんだ。頭は悪いけどそこのところは馬鹿じゃないんだ。



肯定されつづけてみたい。そうしたらやっと俺はタンクの少し盛り上がったふちに、手を掛けられる。茹で死にを耐えている間。
きっとそうだ。
俺が打ち消すのに負けずに、肯定してほしい。俺は、打ち消したくて、打ち消してるんじゃない。好きでやらないそんなこと。でもそうなる。だから、だから。



俺は今日も肯定を“何一つされていないのに”あれとそれを打ち消した。

「打ち消すものがあるの?」

「あるわけないだろう馬鹿。」
「苛々する原因が多すぎて、俺には多すぎる世界で、だからいつも困っているんです。」


打ち消したものはたまってタンクの中を茹でる燃料になる、それだけの毎日、ああ今日もうるさい。それだけ。それだけ。
さようなら、それだけ。


散文(批評随筆小説等) ある燃料 Copyright 榊 慧 2011-07-06 15:38:47
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