捨てるのこと
はるな


魚焼き網と食器桶をハイターに漬けて、便器とあらゆる排水溝にそれ用の洗剤を流し込む間に、うちじゅうの床を拭く。鏡とテレビとパソコンの埃を柔らかい乾いた布で磨いたあとで、便器とあらゆる排水溝とハイターに漬けてあるものたちをたくさんの水ですすぐ。
洗濯物はまだ乾いていない。

掃除なんて大嫌いだ。うちは六畳が二部屋と、ダイニングだけの家だけど、掃除すべきところがたくさんある。びっくりするぐらいだ。ガス台はいつの間にか(でもすぐに)油でべたべたになるし、四角い部屋の四隅にはなんだかよくわからない小さなくずがふき溜まる。

でもそれにしても、捨てるということはなんて気持ちのいいことなんだろう。
毎日投函される雑多なちらしや、雑誌類、空き瓶や缶、彼が買ってくるスポーツ紙の束、いつ使ったのかわからないくたびれたつけまつ毛や欠けた食器。どんどん捨てる。片方だけになった安物のピアス、ゴムの伸びた下着、もう見ないDVD、小さくなった蝋燭、役目を終えた電池。
そういうものをどんどん捨てながら、それらをいつ手に入れたのかを考えている。なぜこんなものたちが必要だったのだろう?もうわからない。でもわたしは確かにそれらを、うちではない場所からうちの中へ運び入れたのだ。必要でさえなかったかもしれないものたち。
生きているというのは、こんなにたくさんのものたちを磁石のように引っ付けながら過ごすものなのだろうか?

捨てるということは、すごく重要な物事のひとつだ。すくなくともわたしの中では。何を持っていて、何が必要なのかを、いつでも把握していなければならない。出来るだけ。

それからまた、捨てるのには、体力がいる。えい、やるぞ、捨てるぞ、という気持ちのないときには、何も捨てることができない。だから何かを捨てるというのは、心身がある程度元気な証拠なのだ。ということは、心身ともに完全に健やかならば、わたしは何もかもを捨てることができるのかしら。「何もかも」っていうのが、いったい何のことなのかわからないけど。



散文(批評随筆小説等) 捨てるのこと Copyright はるな 2011-07-05 18:23:31
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