女は頭かおっぱいか
はだいろ
『女は、
頭なんかどうでもいい。
おっぱいと声だぜ。』
という、C級洋画の脇役の台詞に、
ふむ、なるほど、とは思ってはみても、
それは、
若い子に限るだろ、という気もする。
彼女と、週末、
浴衣を買いに、
イトーヨーカドーへ、
それでめっきり疲れきったぼくは、
一日中、ごろごろまったりしようと提案して、
自動販売機まで、
ウーロン茶を買いにいってあげたり優しく、
だけど、
駅まで送って、
居酒屋に寄っても、
なんにも、会話の種がないのには参った。
会話の、
共通項がない、というレベルではない。
ほんとうに、
話をしようにも、なんにも見当たらないのである。
うさぎ並みの、脳みそなのだろう。
部屋にいるときは、
テレビの画面にあれこれ言ったり、
話はなくても触ったりキスしたりしとけばよいけれど、
ああして向かい合うと、
実に困る。
好きな歌手が平井堅で、
見たい映画が、織田裕二だという、
37歳の女性と、
いったい、何の話をしろというのだ。
もしも年を取って、
おじいさんとおばあさんになったら、
セックスはまさかしないから、
もう、
いっしょにいる意味もなくなってしまうのだろうか。
そんなこと、
いま、考える事ではないのか。
たとえば、長い友達の、別の37歳の女性ならば、
その逆で、
年を取っても、話はつきないだろうけれど、
残念ながら、
今、セックスする気はまったくしない。
そういう色気を感じないのだ。
わからない。
そもそも、話が弾んで、
いっしょにいるだけで、世界が色づくような、
美しい女の子とは、
けっして、両思いにはなれなかった。
あるいは、
お金を出せば、
デリヘルの女の子ならば、
話もHも弾む子がいるけれど。
それはまた、違う話なのだろう。
ああ、知っている人なんか、誰もいないのだろうか。
答えはない。
セックスのしすぎか、ちんちんが痛む。
女は、
おっぱいなのか。
頭なのか。
この二項対立がそもそも間違っているのか。
ぼくにはわからない。