女川旅行記2011.2.2
構造

**はじめに**
女川に行ったのは今年の2月頭。
別に知り合いがいるわけでもなく、女川に行くのが目的というよりは石巻線に乗ること自体が
目的の旅だったので、大して女川に興味があるわけでもなく、日記に書いてある通り
高々二時間程度の滞在をして、ぶらぶらしたあと駅前にある温泉施設で風呂に入り
帰っただけだった。
以下の文は本当はmixiの日記に書く予定だった。
本当は前谷地を経由して小牛田で東北本線に乗り換えて帰るまでを書くつもりだったが
印象に残ったことを書き記していたら長くなりすぎたし、まとめるのも面倒くさくなり
途中でやめてPCのメモ帳に残しておいたものだ。

テイストが統一されておらず、文としてはよろしいシロモノではない。
女川が壊滅的な状況でなければ普通にボツにして次回に期待ということで終わってた
書いていた内容は本当にどうでもいいことだが、震災がすぎて読み返してみたら
出したほうがいいんじゃないかという気になった。
ということでこの場で公開しようと思う。
女川で被災した方々が喜ぶような内容でもない。
殆ど自分自身の毒を吐き出すようなものだ。
無編集ということは言い訳にもならんが、正直悪文だ。容赦願いたい。
*******************

何も用事がないけれど大阪まで行ってみようと思うというのは内田百?の阿房列車だが
そんなカネを持っても居ないし時間もない。そもそも新幹線で東京往復というのはクソ疲れるし
往復だけで2万も飛ぶとなればそんなアホなことをやる銭はない。ソープにでも行ったほうが
まだ使いでがあるというものだしCDを十枚買えばもっと使いでがあるだろう。

とはいえ旅への欲求と言うのはある。あと理由はよくわからないが海はいい。心が癒される。
ということで仙石線から石巻で乗り継ぎをかけ、女川へ行くことにした。俺は鉄道マニアでは
ないのだが、石巻線がディーゼル車両ということは知っている。ディーゼル車両での乗り継ぎを
かけて田舎へ行くというのもなかなか良いのではないかと思ったのだ。
とりあえずまずは仙台駅前のブックオフに寄り、読むための本を手に入れることにした。百円コーナーで
山形浩生訳のクルーグマン教授の経済学入門と兼本浩祐という詩人の詩集を手に入れる。
キオスクでとりあえずは酒を手に入れたが、仙石線は横並びの通勤車両に乗ってしまったため、
酒など飲める状況ではなかった。とはいえ仙石線はとにかく松島あたりからの眺めがすばらしい
子供の頃松島に行くときは、海がようやく見えるあたりになってはしゃぎだしたものだったが
今回も同じような状況になった、大人とはいえ海に心は躍るのだ。

ほかにやることもないので読書はとにかく捗った。薄い詩集はすぐに読み終わり、経済学入門の
分厚さに手が伸びた。まずとりあえずは経済発展が何かったら結局生産性とかそういう話らしい
うわー勉強になったなと思っていたが、覚えていることといったらこの程度なのだ。
トンネルをいくつか超えて石巻に着く。石巻にはもうすでに女川線のディーゼル列車がとまって
いた。ホームから簡単に入れる喫茶店に入りコーヒーを頼む。駅の喫茶店のくせに地元の客が
いるらしく女性店員と延々と世間話をしている。俺もコーヒーを頼んだ。

さすがにメシを食う暇はなかったので、キオスクでポテチと紅茶を買って女川線に乗り込んだ。
以前車で牡鹿半島を走ったときはやたら峠道が多かったので、今回も峠道になるだろうと思って
ばかりいたが、そうでもなかった。トンネルはいくつか通ったし、耳がキンとする長いものも
あったがわりと平坦な道である。道中の駅には、存外に工場らしい工場がある町がちょこちょこと
あるものだ。これは意外だった。女川までさみしい漁村ばかりだと思ってたのに。

なぜか学生が多い。えらく多い。学校が終わる時間だったかと思いなおすが、このあたりの
学生は金髪ビッチ率が低いなとか眺めてて思う。とはいえ話している内容は基本どうかんがえても
真面目な女子学生が話している感はなかった。むしろ卑猥に属する話である。大学生くらいだったら
かろうじて心を躍らせて聞いていたのだろうが、今になってみると彼らが成長した果ての姿という
ものがある程度予想して見える部分があるので、この卑猥に属する連中を阿婆擦れと感じないのは
おそらくは漁師のおかみさんとかそういったものに属する種類の朴訥な卑猥さだからではないかと
思った。決してBGMで聞いていても不快とは思わないが、首を突っ込む気もない。

女川に着いたのはすでに三時半ほどをすぎていたので、特にやることもなかった。
まずは降りてみるとトイレがやたらと立派だった。降りて右手に役場がある。これもわりと立派な役場だ。
駅の隣には温泉施設がある。これはいい。ぶらぶらした帰りに寄ろう。
女川の町はこじんまりとしてはいるが、だからといって明確に衰退しているという様子もない
軽く靴屋をウィンド越しに覗いてみたら、アディダスのスニーカーが置いてあった。
年寄り相手だけだったらアディダスのカントリーなんて置かない。学生や若い奴もこの靴屋で
靴を買っているのだろう。本屋にはヲタ向けのエロマンガ雑誌が一冊。なんでこんなマイナーな
ものを…と心の中で思う。とはいえこれも本屋が機能している証ともいえる。買っていく若い奴がいるのだろう。
マリンパルに行って軽く食えるような海産物はないかと思って歩いてみたが、魚屋はすでに
閉店準備をしており、悪いなと思って二階の食堂に行ってみた。うに丼が千円。安いんだろうが
ちょっと持ち合わせがない。なにか温泉施設で食えるだろうと思い駅へと戻る。寺は登るだけで
苦労するような高台にある。津波対策だろうか。そのわりに港の防潮堤はやたらと低い。津波どころか
台風でも波が超えそうだ。

薬屋から小さい男の子が出てきて、薬屋の客らしいおばさんについていく。おばさんは他人なのか、はよ帰れと
いうことを延々と言っている。薬屋でも男の子を止めようとするわけでもない。夕飯までには帰ってくる
だろうと考えているのだろうか。子供を夕方一人歩かせて危ないという意識はここにはないんだろう。

駅前の温泉施設に戻って五百円を払い風呂に入る。泉質は塩化物泉。舐めるとややしょっぱい。
これだけ港に近い場所なら、井戸を掘れば温泉でなくとも塩化物が出るんじゃないかと思ったがまあいい
肌の弱い俺にとってはジャストフィットの泉質だ。まったりと入っているとどうみてもカタギとは思えない
彫り物の入った方々が三人ばかり世間話をしながら入ってくる。そういや彫り物が入ってる人は禁止とか
そういう看板はなかったなと思い至る。公共施設なら看板くらいおいとけよと思ったが、まあこっちが
余所者な以上、湯船である程度の距離を保ってガマンするしかない。時計と信号のようなものが壁に
置いてあり、駅に電車がもうすぐくるという段階になれば赤信号になるという。湯に未練は残ったが
さすがにおやくざさんと延々風呂に入るのは嫌なので、休憩所に向かった。
何か食えると思った休憩所は、出前のメニューが置いてあるだけでほかになにもない。
何か食いたければ出前をとれということなんだろうが、さすがにそこまで空腹でもない。なんで女川に
まで来てこんなものをとおもいつつカップ麺の自販機でカレーヌードルを買って食い、置いてあった
ドクターコトーを読み時間をつぶす。

駅に戻るとチリ地震ときは津波がここまできましたという青線が階段にひいてある。昔行った平泉駅にも
階段の手すりが抉れており、機銃掃射の跡ですと説明書きがしてあったなあと思い至る。ふと後ろを見ると
港は完全に真っ暗だ。空を見れば星があるのかもしれないが、ここから東をみたところでアメリカまで
明かりをともす都市はどこにもない。本当にディープな暗闇だ。

電車に乗り込み、ほっとしているとどうも駅から見えるところでカーセックスをしている奴がいるらしく、
乗っている女子高生が騒ぎ出す。とはいえこっちが身を乗り出すわけにもいかない。
対照的におそらく仙台から来たのだろう。魚介類の入った箱を持った上品そうな老夫婦が、かわいい電車ねと
ディーゼル機関車を褒めている。こうしたわけの判らない混在もまた鉄道の醍醐味だ。奇妙ではあるがまた
いとおしくもある。

***後書き、注***

書いた当時に付け加えたフィクションが幾つかある。
カーセックスで騒いでた女子高生がいたのは東北本線に乗り換えた後の小牛田駅での話で女川駅の話じゃない。
仙台駅のキオスクで酒は買わなかった。
石巻駅でコーヒーを頼んだのはこの旅行の数ヶ月前の話。
あと鉄道マニアではないゆえの間違いだが、ディーゼル"機関車"には乗ってない。気動車の間違い


散文(批評随筆小説等) 女川旅行記2011.2.2 Copyright 構造 2011-06-05 00:53:37
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