十一次元の詩人たちへ
たま

大きな欅の木のしたで
乾いた蚯蚓が八の字を描いて死んでいる
無から生まれた宇宙の話しを聴きながら


きみはもう死んでしまったから
こんな話しはおもしろくないかもしれないけど
きみに残された記憶の最後のひとコマが
十のマイナス三十四乗秒だったとしても
それがきみの生きたすべてだったと言えるかもしれない 
もちろん
きみが苦労して生き延びたことは知っているよ

宇宙が無から生まれたように
生物として生きたきみは死んで無に還ることになる
きみの霊がまだここにあるとしたら
それは十のマイナス三十四乗秒という
最小単位の物質にすぎないから
見ることも触れることもできない存在なんだけど
だからといって否定はできない
確かに今、ここにある物質にはちがいないのだから
わたしはこうして
きみの霊に話しかけているのだよ

退屈かもしれないね
死後の無の世界は
聴きたくない話しかもしれないけど
退屈しのぎにはなると思う
こうして大地に根をはって
空に向かって枝をひろげていると
様々な霊が宇宙めがけて飛んでいくのがわかる
でもね
死後の無の世界はこの宇宙には存在しない
この宇宙を支える十一次元は
命を生み出す仕組みであって
死後の世界には関与しない
わずかに最小単位の物質として
霊を残すことがあってもね
つまり宇宙は
戻ることのできない一方通行の世界なんだよ

何もない無から宇宙は生まれたけど
その無が存在した世界はわからない
話はややこしくなるけど
わからないままの無があとふたつあることになる
つまり、きみが生まれる前の無と
死後の無はおなじでないということ
時間の最小単位、イコール
物質の最小単位であることはわかったけど
命の最小単位はわからない
たぶん、生まれて死ぬまでの全時間が
命の単位なのであって
それを細分化することはできないのだと思う
命って単純なんだ

ああ、うるさい雨が降ってきたよ

この雨に打たれて
死んでしまった
きみの細胞は大地に還るだろう
そろそろお別れだね
わたしはここに根をはって
五十九年間生きてきたけど
いつか、死ぬ時がくる
そうして
きみとおなじ大きさになるんだよ
霊の大きさはみな同じなんだから
平等なんだね
上も、下も
右も、左もないんだ
人であっても、蚯蚓であっても
おなじなんだ
ねぇ、
きみもそう思わないか

ん・・。なんだ、もういないのか


 ビッグバン以前に
 無の空間に存在したであろう宇宙の種ともいえる姿が
 捩れた紐状のものであったという学者がいる
 だとしたらそれが
 八の字を描いた蚯蚓であってもわたしはかまわない









自由詩 十一次元の詩人たちへ Copyright たま 2011-05-27 18:21:28
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