詩なのか
nonya


なぜ詩なのか



面倒臭くて つい
手軽な言葉を投擲してしまった
口淋しくて つい
甘ったるい言葉を咀嚼してしまった

<優しさ>の優しくないアクや
<悲しさ>の悲しくないオリが
胸のT字路で行き詰まり
嫌なゲップが出てしょうがないから

僕はそれを
指から逃がそうとした
詩のような檻にそれを
閉じ込めようとした
ただそれだけのこと

もしつき合ってくれたらありがとう



いつ詩なのか



上りつめている時は
脚韻どころか
気の利いたお世辞すら満足に言えない

下りはじめる瞬間は
恐怖のあまり
カビの生えた常套句にしがみついている

下りおえてしまえば
安堵しすぎて
暗喩よりも甘いものが食べたくなる

やんちゃな感情の起伏を
転がり落ちる
その速度だけが僕に詩を書かせる



どこが詩なのか



生き方が
詩ではない
存在そのものが
詩であろうはずもない
凡人は

平坦で陳腐な日常から
今日も言葉の石を
掘り起こしては
それを丹念に磨く

その石が
詩の原石であることを
願いながら磨く

その石が
誰かの夜空で瞬くことを
祈りながら磨く

その石を並べただけで
挨拶にはなるし
店のメニューにはなるし
日記にはなるのだけど

それでも言葉使いの端くれは
言葉の石を
磨かずにはいられない

それはおそらく
磨くことが
磨こうとする意志が
詩のようなものであるからだろう





自由詩 詩なのか Copyright nonya 2011-05-22 18:24:36
notebook Home 戻る