話した途端に、あ痛ぇ、失敗したなんてありませんか? 言わなきゃよかった言葉を吐き出してから失敗に気が付く。
もう取り消せないけど、コチンって落ちちゃった言葉を、みんなが気が付く前に、爪先で蹴っ飛ばして遠くに飛ばしてしまいたいなんて、思ったことはありませんか?
そんな感じを詩にしてみました。^^);
では、なぜ石英なのでしょうか? これは自分でも良く分からないのですが、父親の鉱物好きから高じた水石の趣味に影響がありそうです。
実は父親の趣味は困ったもので、本人が凝り性なのはいいのですが、それでずいぶん家族が迷惑します。初めは釣りだったそうですが、交通事故に遭ってから、他人から生き物を殺しすぎたからだと言われた父は、水石の趣味に嵌ります。
水石というのは、鉱物のような成分が重要であるというより、姿形が良い石を色々なものに見立てて飾るようなものです。庭に山水を表現するように箱庭と同じ発想だと思います。
山の形だとか、峰の形だとか、さらには達磨に似ているとか、猿に似ているとか拡がって行きます。おかげで、小さかったわたし達兄弟は休日というと父親に連れられて、一日中、川上から川下にかけてリュックに石を積めて歩く羽目になりました。元もと鉱物に興味があった父はさらに、化石や宝石にまで手を出して行くことになります。
自宅の床の間から居間に至るまで石だらけになった金沢の実家は、壁面に大きな本棚が並び、中には石がぎっしりという状態となり、最近まで地震がない地方ということで良かったのですが、畳に寝そべって天井を見上げると石に囲まれているということになりました。
大晦日の年中行事に大掃除がありますが、その石を取り出し磨き、棚の煤を払い、拭いて、石を元に戻す。そんな作業に数日掛かるようになります。
さらに言うと、父は鉱物好きから水石趣味で山川を歩くようになり、地質調査に興味を持った父は副業で温泉の掘削までやるようになり、何本かの温泉を掘っています。
それから石が置けなくなって、父親の趣味は植木に移って行くのですが、なんでも人迷惑な趣味に家族が振り回されることになりました。その先の話はまた別の機会に譲ります。
話しが長くなりましたが、要するに私は小さい頃から石と一緒に育ったわけで、言葉が石に成るなら石英と頭から決めていた節があって、迷わず表題を書いています。
薄く白味がかった表面の奥に何か違う色を隠しているような感じ、そして手に持った冷たさと重さがぴったりだと思ったのではないでしょうか。
口から出した言葉が固まって落ちるという発想は、次の詩にその初めがあります。
言葉
吐き出した言葉が
コチンと固まって落ちた。
ぼくは、ギャッと
叫んで舌を噛むと
舌足らずの人間になった。
にやけちゃってて、言葉がでない。
ぎゃっ。
大学3年頃に書いた詩です。読むと顔が赤くなるような詩ですが、実は結構これが気に入っていて、吐き出した言葉が固まって落ちるという考えと、ぎゃっと舌をかんで舌足らずの人間になるという考えが頭の中に残るという次第になりました。
顔を赤らめるような恥ずかしさと、しまったという想い、それがその場に浸透する(固まって落ちる)までの間と、気付かれたかなという衒いの表情、そんなこんな想いを表現したつもりです。
はは、そんなこんなで、この詩ができたのですが、長々といやになりましたかね。
懲りずに是非読んで見てください。^^);
言葉が石英だったら bee bee
口に出した言葉が
石英のように凝って、
カチリと落ちたら
いいだろう!?
ぼくはお喋りに夢中になって、
なにがなんだかわからなくなって、
幸福だろう。
でも
カチリと落ちた拍子に
言葉が欠けでもしたらどうしよう!?
舌でも噛んだ気がするのかな。
落ちた言葉を
知らずに踏みでもしたら
どうだろう!?
ピリリッと舌に痛みが来るのかな。
その時 ぼくは
ひとつひとつ拾い上げて
手にいっぱいになって
もう一言も喋らないと心に決めて
黙って立っていようと誓うんだ。