昨夜から早朝
榊 慧

死ねよ。とは実際口にはしないけれども。
そのかわり死にたいと呟く。

死ねよ。と、言いたいのだ。死んでほしいと言いたい。殺すぞと言いたい。っていうか死ね。マジで。
呟きにはならない。俺は黙って普通の生活を送る。命令された生活をおくる。愛でなにが、というのがただ今の感情というか結論であって人生なんてこんなもんだと思わないと俺死にます。


誰が死にたいとかは俺が死にたい理由とは無関係で「死ぬしかなくて死にたいけど何」なわけである。ああもう死ぬしかないさ、ふ。


俺は家族やらを許せる、完ぺきに許せる日などこないのではないかと思う。育てて金がかかるなら殺せばいいのであって進学校を出てなんか普通の大学で目の届く範囲で行動してほしいなら俺は無理なのでさっさと別の対象をみつけるか盆栽にでも心血をささげればいい。これが本音。悪魔で結構。

「死にたい!」
俺は、俺は、俺は、
「ただ死にたいから生きてるだけでまじメメント・モリですよ。」


撲殺してやりたいけどしていません。
放火魔は家にきません。
至って真面目に暮らしている俺のどこが悪い?
液晶画面を今殴って粉々にしたとしてもこの撲殺したい俺はただ死ぬしかないから死にたいとか、そういうのは伝わらない。
伝わらなくて当たり前なのだ。


俺は同年代にありがちな、とにかくきらきらしていない。
「死にたい。」「死ぬしかない。」
キーボードを憎悪の感情だけで叩く。憎悪、憎悪、憎悪、
「憎悪はいつ消えるのだろう」
憎悪、憎悪、憎悪
憎悪、だけの行動。憎悪で人は殺せない。殺せない。だから嫌だ。憎悪で人を殺してみたい。楽だろう。

「憎悪でなんで人が殺せないかっていうと世の中大体の人が死体になるからだよ。」
憎悪が多すぎると人はどうにかなってしまう。お前、死ねよ(殺したい)。


散文(批評随筆小説等) 昨夜から早朝 Copyright 榊 慧 2011-05-10 06:10:53
notebook Home