修羅の影ではなくて
石川敬大
 すでに川は
 平坦な静けさの原野にひとを集めて橋をつくり
 横たわる大蛇の骸であったから
 サンタクルス
 ナザレ海岸の大西洋の落日を眼鏡に映して
 修羅のあゆみはヨーロッパ大陸の西果てで足踏みしていた
 わたしの異名としての川は窓辺にたち
 草をわけて道をつくり
 ふたつの言語をよりあわせた笑顔で
 よしなしことを記す
 日記ではなく
 どこまでも私小説的であったことは妻と娘を奈落の底に
 突き落とすことをしたのだろうか
 すべてはゆめだった
    *
 脚にオレンジ色のミサンガをつけたカモシカがたっていた
 キズついて、じっとこっちをみつめていた
 にげないんです
 まだ猟師が銃でねらっているのに
 にげてー、って言いたいのに
 わたしは凍りついた人のようになす術がなくて
 わたしは人間の
 傍観者/日和見主義者
 うらぎり者では生きてゆけませんから
 キズついたカモシカが
 森の奥にきえてゆくときも
 ただじっとみていただけなんです
    *
 山の端からのぼったものが池をめぐった
 修羅の影ではなくて
 ……月だったか
 娘のやさしい微笑みだったか
 それとも、胸の篝火だっただろうか
 
