ひとり生きてゆく(ということ
アラガイs


極め付きは米山くんの死だった 。
例によって蛇口から滴り落ちる水が八分音符を刻んでいる 。

片隅の椅子に座ったまま
ひっそりと蝋燭を灯したような薄暗い部屋のなかで
女はむき出しのトーストに針を刺していた
耳に沿いながら針先の感触を確かめるように
呟き、何度も、 何度も呟きながら繰り返す
いまにも充血で噴き出しそうな白い眼の奥に
それは赤赤とした血の色を想像していたに違いない
この季節になると窓を半分ほど開けて眠っていたのだろう
人知れず月を呼び込むために
もっともこの行為が、女にとってどれだけ勇気のいる行為だったのか
浸された長い髪の毛は一束に濡れ
ほろろ蒸す朧気な風には少しの乱れもない
後になってそれを確かめるには
もう遅すぎた 。

家の門から見える四隅の角に、深々と帽子を被った白いコート姿の男が今日も立っている 。
歩きだすと男は近づいて来て、下を向いたままお金を少しわけてくれと懇願した 。
黒皮の手袋はイニシャルが金糸で縫い込まれた上等なブランド物だった
首を振りながらわたしは小走りに逃げだしたが、 遠近を確かめるように長い顔を少しもち上げて、男は最後まで此方の行方を見極めていた 。

水道のメーターはあがることもなく
例によって蛇口から水は滴り落ちていた
米山くんの死はけっして苦しいものではなかったと
奇妙な確信が木魚を叩きながら唾のなかを支配している 。

点滅する手術室の脇では全身水色の姿をした四人の男と女が、ランプを取り囲み(ひそひそ)話しをしている。
手術台の上には、なにやら大きな獣のぬいぐるみが眠っていた
突き出した胸の毛は剃られ赤いペンマークが印されている
そのうちひとりが大きな欠伸をしたまま気だるそうに足を揺すぶり
あとの三人はくすくすと笑いながら
時々ぬいぐるみの産毛をむしり取っていた 。
たまに足音が響く薄暗い廊下には(チクタクと時間だけが過ぎてゆく
壁に掛かる柱時計の針が歪んで見えるのを、気にもせずに。。

迷い込んだ山裾の道路にはタイヤの跡はない
真っ暗な舗装を歩いている
後ろから頭を過る幽かな波動は随分まえに通り抜けたトンネルからの悲鳴
)よからぬものの気配がした
きっと風に擦れ合う笹の葉だろうと、振り向く勇気もなく 急ぎ足になる 。
そういえば、朝から何も口にしてはいない
しばらく歩いていると 笹藪の向こうに灯りが見えてきた
入り口の古い門柱には正体のわからない二体の像が立っていて
足音を響かせる度に、腕が左右に動き出すように見えてくる
息を捨てゆっくりと門の中へ足を踏み入れたとき
一台の車が猛然と通り過ぎてしまった 。

止まらない水の音は倍音に響きあい、未知なる眠りを妨げている
米山くんは本当に死んだのだろうか
時々理由がわからなくなる
蛇口を止めるべきか
水をあきらめるのか
ゆっくり眼を閉じると
一輪の白ユリが煙に微笑んだ
わたしはいまでもその答えを探している 。










自由詩 ひとり生きてゆく(ということ Copyright アラガイs 2011-04-24 05:21:42
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