鞄のこと
はるな
天気が良くない。いちど実家に帰って、それからまたここへ帰って来て五日。ずうっと天気が悪い。雨か、そうでなくても曇り空。桜の花はもうほとんど散ってしまって、枝に残るしなびた色はもう桃色ではない。
履歴書に切手を貼って、投函してきた。A5の履歴書を折りたたまずに入れることができる封筒は、角型四号(なんと読むのだろう?)。きのう買ってから知った。何円分の切手を貼れば、それがきちんと届くのかわからないので、店員に聞いた。ばかげて明るいコンビニエンスストア。白と水色の制服。
それから、鯖が安かったので買った。ここの土地は、実家のあるところよりも魚が安い。煮付けにして、台所に味噌のにおいが充満する。小さな窓を開けていても。
このところ、眠ってばかりいる。睡眠とはしたしい。ほとんどいつのときにも親しかった、唯一といっていいくらい。
男の子たちから、思い出したように連絡が来る。メールや電話で。男の子たちのほとんどは、わたしが住処を移したことをしらない。言っていないからだ。言う必要はないと思ったから。気軽に会えるから、だから会う。そういう男の子たちが必要だったのだ。そういう男の子たちに、いちいち身辺を報告する趣味はない。こちらから電話をしなければ、向こうも忘れてしまうくらいの関係なのだから。
だけれど、連絡がくるとそれはそれでうれしい。男の子たちは、あまり無駄なことを言わない。あした時間ある?とか、今週はいつお店に出てるの?とか。髪の色を変えたとか、あたらしい靴を買ったとか、そういう報告をしてくる子はいない。そういうのは、会ってからお互いに気づくべきことで、その愉しみをメールにしてしまうのは勿体無いと思うの。それに賛同しない男の子たちは、いつの間にかわたしのそばからいなくなった。そういう男の子たちはまた、きまって、電話が少ないとか、メールが素っ気無いとかで機嫌が悪くなった。計り知れないパワーだわ、と、そのたびわたしは思ったりしたのだけど。
居心地の良かった男の子たち。わたしは、そのメールを見ながら、なんて遠くに来てしまったんだろう、と思う。はやくここに身体をなじませなければならないと。
なんて遠くに来てしまったんだろう?たびたびそれを思う。
かなしいのは、遠くへ来てしまったことではなく、「気軽」ではなかったことだ。
場所を変えれば、自分も変えられるように思っていた。あるいは、そういうふうにしか自分を保っていられないと。遠くへ来てなお、会いたいと思うのであれば、それはもう恋愛だ。恋愛を、恋人以外のひとにするなんて、いったいどういうことだろう。場所を変えても、気持ちが変わらないなんて、いったいどういうことだろう。わたしはどうしてしまったんだろう。
すこし前に、思い切って、小さな鞄を買った。
なぜ「思い切って」なのかといえば、わたしは日ごろから荷物が多いのだ。あれもこれも、持ち歩かなければ不安になるから。
手帳とお財布も薄いものを買って、身軽でいられるようにした。
煙草と、電話と、少しのお金。あとは文庫本と、チョコレートひとかけ。それくらいでどこへでもいけるのなら、どんなにいいだろう。精神だけではなくて、身体もいつも軽くしていないと。風が通るように。春だし、明るいし。
そう思って、小さな鞄を買った。
もしまた帰るときには、小さな鞄で帰ろうとおもう。遠くに住んでいることを忘れるような小さな鞄で。気軽さを装って会えば、恋も気軽なものになるだろう。
そうであらねばすこし困る。(遠くまで来れたけれど、わたしはすこし臆病になった。)
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