「名」馬列伝(20) グルメフロンティア
角田寿星

準オープンの常連から出世した馬として、関西の競馬ファンは、ダイタクヤマトや(少し格は落ちるが)エムアイブランの名前を挙げるだろうが、関東では何といっても彼であった。
4歳緒戦に準オープン入りしてから一時期、中山と府中の芝1600〜2000mの中距離戦には、必ずと言っていいほど彼の名前があった。
その間、遠征も格上挑戦もせず、律儀に関東の条件戦だけを走ってきた。
それだけではない。戦績も素晴らしいのだ。
準オープンからオープンに上がるまで、降級も含めて実に14戦を費やしているのだが、14戦3勝、2着6回、3着2回、4着2回。芝だけに限ると12戦9連対で、ビワハヤヒデも真っ青の良績である。
単勝は買いにくかったが馬券の軸には最適で、お前はいつ勝つんだよと揶揄されながらも、一部の競馬ファンに非常に愛されていた。
末脚が甘くて今ひとつ勝ち切れない競馬が続いていたが、同じ競馬場の同じような距離のレースで、騎手も岡部か加藤和という手練のベテランを乗せて、じっくりと競馬を覚えさせていたのだろうか。現在ではそんなふうにも感じる。

1年以上かけて5歳2月にめでたくオープン入り。
オープン緒戦は2年ぶりの重賞出走となる、中山記念だった。慣れ親しんだ中山芝1800m、メンバーも比較的手薄。
ここで彼はいつもの目立たない末脚をみせ、4着に食い込んできた。
そう、彼は重賞も条件戦も変わりなく、彼なりの力を発揮できたのである。どこかのG3を一つくらいは勝てそうだと期待に胸を膨らませたことを思い出す。
あっと驚く逃げで砂の強豪エムアイブランを抑え込んだ、ながつきS。
前が詰まって3着と、悔しい思いをしたカブトヤマ記念。
実はカブトヤマ記念は、どうしても勝ちたいレースだった。厩舎の思惑としては連投で次週の秋天皇賞に出走させる予定で、そのためには賞金の加算が必要だったのである。
それが3着。ピンチであったが、なんとかぎりぎり出走に漕ぎつけた。

この年の秋の天皇賞は、最終直線でのエアグル―ヴとバブルガムフェローのつばぜり合いが有名であるが、その5馬身後方で、彼は激しい3着争いを演じていた。
相手はG1馬ジェニュインにG1常連のロイヤルタッチ。一団となって逃げ粘るサイレンススズカを追いかける。
結果は、いつもの詰めの甘さというより、これが彼の精一杯であっただろう。サイレンススズカをクビ差かわして、3着ジェニュインからハナ、クビ差の5着。
このメンバーで、ブービー人気での5着は、胸を張っていい結果であった。

それからの彼は、もう説明の必要はないだろう。金杯とフェブラリーSの2戦、彼は本当に強かった。最終直線、外から被せてきた馬をあの巨体で弾き飛ばし、今までの鬱憤を晴らすかのような末脚の爆発。
1年前には条件馬だった彼が、4馬身もちぎってG1を勝った。
ウィニングランで鞍上の岡部騎手が、顔をくしゃくしゃにして笑顔で戻ってくる。ゴール後の向正面で落馬してしまった照れ笑いもあるだろうが、彼と騎手と厩舎、彼らの長年の努力が結実した瞬間であった。

フェブラリーS戦後は燃え尽きた感のある彼であったが、彼の最後のレースとなった東京大賞典で、ひどい出遅れから、あっと驚く末脚を使って5着に入線し、G1馬の意地を見せた。
筆者はその場にいなかったが、2ちゃんねるで彼が復帰するというネタスレが立ち、それを本気にした某競馬評論家がコラムに取り上げるという珍事でも名を馳せた。
種牡馬引退後は千葉県の乗馬センターに長らく在籍。腰痛が悪化して立ち上がれなくなり、最後は力尽きるようにして息を引き取ったと聞く。


グルメフロンティア  1992.4.19.生 2010.7.17.死亡
           38戦9勝(中央37戦9勝、地方1戦0勝)
           主な勝ち鞍:フェブラリーS(G1)
                 中山金杯(G3)
                 愛知杯2着


散文(批評随筆小説等) 「名」馬列伝(20) グルメフロンティア Copyright 角田寿星 2011-04-09 23:42:39
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