日曜日の女
はだいろ
ぼくのような、落語初心者は、
植草甚一さんが、
49歳でモダンジャズに夢中になって、
毎日6時間レコードを聴いて、
毎年100万円レコードを買って、
5年たてば、
すこしはジャズが血肉となる、なんて、
素敵な勉強だと思うけれど、
寄席も通えば通うほど、
また通いたくなるふしぎなもので、
これは、
デリヘルでも同じなのだけれど、
うまくいかなかったり、
つまらなかったり、
一方、
凄いものを見ちゃったなあ、と思ったり、
こころがしんとするような感動があったり、
そのぶらんこのような触れ幅に、
こころが取り込まれていくのだろう。
草森紳一の思い出を語る本を、
東京堂書店で買う。
断捨離の真っ向を張るように、
なにも片付ける事なく、本の山に埋もれて死んだ。
その蔵書、3万冊を超える。
ぼくは、思うのだけれど、
ほんとうの、初心者は成熟して、マニアになるのではなく、
ただ深い深い初心者になってゆくだけではないのだろうか。
ほんとうの、子供が、じつは大人になんかなるのではなく、
ただ深い深い子供になってゆくだけのように。
ディランのLPボックスセットは、
ディスクユニオンに、あと2セット残ってたから、
あのうち、1セットは、絶対ぼくが買う。
お金ないけれど。
なぜ、お金がないかと言えば、また、
きのう、寄席から帰って、
人妻デリヘルで、店のおすすめに、
やや騙されてしまったからである。
おっぱいはきれいだったけれど。
おっぱい・・・おっぱいをさわるだけで、
ぼくのこころのさかむけが凪いでゆく。
喬太郎とは、やはり、どうしても相性が合わないようで、
二回続けて、おんなじ噺に当たってしまい、
初心者だから、
なんだか、損したような気になってしまう。
雲助の遊郭噺、見られるだけ、見たいのだけれど、
どうしても仕事が遅いと、
湯島に八時が、間に合わないのである。
人妻かどうだかわからない女は、
自宅だというのに、
やたらでかい声でしゃべる馬鹿で、
ぼくは可愛い馬鹿な女は大好きだけれど、
ただの馬鹿な女は大嫌いだ。
ローラ・ニーロのファーストが、
オーディオファイルの重量版LPで再発されていたので、
お金もないのに、
ジョニ・ミッチェルのカナダ初版といっしょに買って帰る。
だって、ジャケットがあまりにも素敵だったんだもの。
40過ぎて、
興味を持っているのが、
ジャズと落語とキリスト教だなんて。
あと、女性ヴォーカル。
男の声なんて、落語でしかもう聞きたくない。
女性の声はなんてすばらしいんだろう。
そんな可愛い声のあのひとと、
また電話で長話をした。
あれは、土曜日だったかしら。
金曜日だったな。
ただの偶然なのだ、生きているっていうことは、ただ、
それだけの、週末。