夜ノ目
かいぶつ

車窓のない列車は
「夜目」という名の駅に向かい
走行していた

乗客は皆、無口だった
そして窓外の景色でも見るかのように
ただ壁の方に視線を向けていた

車窓のない列車というものは実に奇妙だ
まるで方向感覚が定まらない
時折、車体が斜めになったり
周囲の音でトンネルに入ったことなどは分かるが
自分が前進しているのか後進しているのかが分からぬ不安に
すこし気が変になりそうになる

私は手帳に挟めてあったペンで
壁に矢印を書いた



後部座席を指し示すように
自分だけが目にすることの出来る最小限の大きさで

それをじっと見つめると
幾分、気持ちが落ち着いてくる
進むべき方向に
体が運ばれている心地になって安堵する
もう夜も深いだろう
ゆっくりと目をとじて行く

私は聞き慣れた車輪の音だけを聞いて
終着まで眠るはずだった
しかし低い唸りのような音だけが
鼓膜を延々と震わせ
私の速度感覚は
少しずつ崩れ落ちて行った

私を乗せる鉄の塊が
想像を遥かに超える
危険な速度に向かっているのではないか?
そう思えば思うほど
車体の軋む音が惨事への前触れのように聞こえて
不気味だった

恐怖に耐え切れず目を見開き
無意識に外の景色を見ようとしたが
そこは車窓の無い列車の中
あるのは白い壁と
そこに書かれた小さな矢印だけだった



私は錯乱していた
そして私の視覚への働きかけは
こんな落書きひとつに支配されてしまった
私は立ち上がり
矢印が指す方向へ走り出した

乗客達は相変わらず壁に顔を向け
表情を見せてはくれなかった
この狭い空間でこれだけ騒ぎ立てれば
一人ぐらい怪訝そうな表情で
私に一瞥をくれても良いのではないかと思ったが
誰一人としてそんな者はいなかった

車両から車両へと助けを乞うかのように走った
列車の揺れに足を取られまいと必死になりながら
最後尾の車両へやっとの思いで辿り着き
乗務員室の扉に手をかけた

だが扉は堅固に鍵で閉ざされている
硝子の向うには背中を向けた制服姿の男が一人
私は扉を力まかせに叩く

「開けろ!
 今すぐ列車を止めるのだ!」

私の声は男に届かず
虚しく辺りを響かせるだけだ

男は金色の腕章をてらてらと光らせながら
整然たる身の構えで
何もない壁に向かって人差し指を向けている
私は扉の破壊を決意する
蹴破ってやろうと助走をつける

すると男は腕を下ろし
制帽に手を掛けながらこちらへ体を傾けて行く
そしてゆっくりと顔を上げ
私の目が男の顔を捉えたとき
私は愕然とした

男には顔が無かった
輪郭から中心に向かって全てが刳り貫かれ
目鼻や口の代わりに
そこには静かな海があった
すると一変、緑溢れる森となり
男の顔の中から一羽の野鳥が飛び去った
そしてまた一瞬のうちに
男の顔は都会の高層ビル街となり―――

車内放送が駅の到着を告げる

「マモナク、シュウテンデス。」


自由詩 夜ノ目 Copyright かいぶつ 2011-03-24 05:05:44
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