母性という幻想
宮前のん

ぼせい 【母性】

女性がもっているとされている、母親としての本能や性質。また、母親として子を生み育てる機能。
⇔父性
「―本能」


これは、Gooの辞書から転記しました。
でも、私は納得できないんです。
そもそも私は自分の経験上、母性が本能だとは思えないんです。
そもそも母性なんてものが、あるのかどうか疑問だとさえ思っています。

 私は結婚して、ありがたいことに2年して長男が生まれ、さらに次男が誕生しました。もっとも、私の場合は多嚢胞性卵胞という特殊な病気のせいで不妊症だったので、不妊治療を施した挙げ句に、ようやっと生まれた子供だったのです。だから長男が誕生した時には、もう両家あげてのお祭り騒ぎになりました。

 ところが。

 不妊治療までして、生まれたばかりの息子に、なんと私は当初、愛情の一辺すら持ち合わせていませんでした。可愛いなんて、全然思えなくて。だって、二時間おきに授乳、そのたびにオムツ換え、汗を拭いたり。赤ちゃんは哺乳力が弱いから、1回飲むのに30分くらいかかるんですよね。そのあと、ミルクを吐かないようにゲップさせて。寝かし付けて、それから哺乳瓶を次の授乳時間のために洗って、煮沸消毒。オムツを捨てて、洗濯物を片付けたら、あっという間に1〜2時間たっちゃうんです。これを一人でやってたら、一晩中徹夜に近い状態になるんです、想像できるでしょう?しかも昼間も続くんですよ、だから細切れに20分とか30分とか寝るしかないんです。それがなんと2〜3か月続くんです、毎日ですよ?強烈でしょう。 だからね、慢性的な睡眠不足に苛まれて、常にイライラしてくるんです。発作的に赤ん坊に毛布をかけてしまう母親の気持ちだけは、本当によーーーーく解りました(笑)。それにね、知ってますか、子供産んだからって、誰でも母乳が吹き出るほど出るわけじゃないんですよ、私なんか1日たったコップ半分くらいしか母乳が出なくて。だから粉ミルクを半分以上飲ませてたんです。そうしたら、なんて言われたと思います? 長男の一か月検診で、保健婦さんが言ったんですよ。「母親としての自覚と努力が足りないんでしょう?」って。怒りを通り越して、情けなくて、涙が出ました。私だって、お乳出したい。出したくて毎日がんばってマッサージしたり、お餅がいいとか、海藻が効くとか聞いて色々食べてみたり、いっぱいいっぱい努力してたんです。だけど、出ないもんは出ない。今思えば、そういう強迫観念からくるストレスが、一番お乳に悪かったんだと思うんですけどね(笑)。
 世間では「母親が愛する子供のために世話と努力するのは当たり前」という、母性神話が未だにまかり通っているんです。どうして母親ってだけで、みんな責めるの。どうして私は母親になっちゃったの。どうして、どうして、って毎日泣いてばかりいたように思います。私がそれでも、ちゃんと長男の世話をしていたのは、義務感とか、強迫観念に近いものに駆り立てられての事だったと記憶しています。本当に危なかった(笑)。

 ところが。

 2〜3か月を過ぎて、ようやく授乳が4〜6時間おきくらいに延びてくると、すこーしだけ余裕が出てくるんですよね、気持ちの上で。やっとこさ3時間くらいはまとめて眠れるようになるし。その頃になると、子供の首も座って、人の顔を見分けるようにもなってくるし。少しあやすと笑ってくれたりね。何よりも、他の人が抱っこすると泣くのに、私が抱っこすると、すーーーーっと泣き止んだりね。あれは、どうも母親の顔というよりは、匂いを感じているらしいですが。子供は、生存したいという本能(これはたぶん本能だと思います)で、ちゃんとよく世話をしてくれる人間の匂いを、おそらくは覚えるんでしょうね。

 こうなると、なんつーか。かわいい(はぁと)。

 と思えることも出てくるわけです。人間誰しも、ある人物と付き合ったとして、「いやぁあん、この人ったら私のこと好きなのね、頼りにしちゃってるのね」って思うと、別に親子関係で無くても可愛く思えてきちゃうじゃないですか。子供って表現がストレートですから、まるで子犬が御主人様になつくように、ママの姿を見つけたとたんに突進してくるし、ママの隣だと安心して寝ちゃったり。全く、本当に全く1点の曇りも無く、ママを信頼してるし、愛してるって思ってくれてる。それほどまでに純粋で真っ直ぐな熱い愛情を、私は未だかつて付き合ったどの男性からも受けたことがない(爆) ああ、3か月もヘトヘトになりながら世話した甲斐があった! 世の中の男性全てがマザコンでもいい!と思ってしまいました。

 というわけで、

 それからハマっちゃったんですよね、息子たちに。今では、私の息子たちに対する愛情は、成層圏よりも高いと思います。彼等を愛しています、心から。たぶん、彼等が火事で家の中に取り残されたら、気が付いたら飛び込んでいると思います、無意識に。(ちなみに、夫が火の中で取り残されたら、火に向かって手を合わせるだけです(ゴメン成仏して、私まで死んだら子供たちが生きていけないっ))。ですが、それは母性「本能」と本当に呼べるものなのか、疑問に思います。
 相手を守りたい、と思う気持ち。自分よりも大事だと思える瞬間があること。それが愛情なのかなあ、と漠然と思います、異論はあるでしょうが。私はおそらく、後天的に彼等から愛情というものを学び、そして獲得したのだと思います。私が、私の母親からは学び得なかったもの。強烈に憧れながら、決して母親からは貰えなかったもの。

 母親に、母性という幻想を抱くのは、愚かな気がします。私はかつて、母親に愛されたくて、その母性本能の存在を信じていました。というか、信じたかった。「自分は母親に愛されなかった子供」なんだと、認識するのが恐かったからです。「母親が、実の子を嫌うなんて、本能的にあり得ない」と思いたかった。
 だけど、自分が母親になって言えることは、私の場合、子供に対する愛情は生まれた時は最初ゼロだった、ということ。子供が育つにつれて、愛情も育てることができたのだ、ということ。だからたぶん、私の母のように、愛情を育てるのがヘタな人もいるのだろう、というおぼろげな推察。うまく愛情を育てることができる人と、そうでない人の違いは、まだわかりません。でも、全員が全員、子供への愛情に満ちて、喜んで世話や努力をしているわけではないと、今なら素直に思えるのです。

 もし仮に、こういう赤ちゃんの世話を夫が率先してやっていたとしたら。育児休暇とかで1年間職場を休んで、24時間付きっきりに世話してくれたとしたら。私は、赤ちゃんは夫に抱かれたら泣き止むようになったと思います。そうなった時、今と同じような愛情を息子たちに持てたかどうか、解らないと思っています。



散文(批評随筆小説等) 母性という幻想 Copyright 宮前のん 2004-11-05 01:30:22
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