魂を証明できない心
光井 新

 この世界の中心には、ウルトラマンみたいにおっきな矢口真里がいて、あの、ウルトラマンが裸なのかは知らないけれど、マリっぺはウルトラマンみたいに裸で、ああ、ウルトラの母はつまりはノーブラでウルトラな乳はブラリと垂れているイメージがあるな、何十メートルとブラリと垂れている気がする。そんな風に、僕のウルトラマリっぺは乳をブラブラさせながら、銀色のスーツではなく、素肌をビル風に晒している。時々、「ジャッ!」だの、「ディヤッ!」だの、怪獣もいないのに、よく分からない奇声を上げては、ウルトラ戦士達もびっくりの勇ましいポーズをチェンジするのに動いてみたり、それだけじゃなくて、忘れ去られた僕の死体にビームを発射してくれたり、あれはビームというのか光線というのか、ビームの和訳が光線であるとかそんな問題じゃなくて、マリっぺなんだからやっぱりセクシービームでしょうにウルトラマンならスペシウム光線なのかもしれないなぁ。
 グニャグニャになった深緑色の自転車に伸ばした僕の血まみれの手が綺麗だ。フジテレビとかが見えそうで見えないけれど見れるものならば見たい、みたいな、きっとお台場なのだろう。ぼんやりとして、お台場なのだ。世界の中心に近い場所なんて、ゆりかもめが空を走るような未来都市に違いない。だって、気が付けばステージに立たされていて、シチュエーションの中で生かされてるんだもん。そして何度でも死ぬんだ。僕は、永遠の十七歳です。今日は街を自転車で爆走して、ていうのも今回の僕は蕎麦屋の出前を急がなきゃ生きてる意味も無いって言われているから、誰にってそりゃ神様に、その神様は多分矢口真里という名前では無いけれど、考えてる暇は無いぞっ、急げ、急げ、お客様は神様です。で、トラックにはねられ、手を伸ばせば、闇。
 あれはもう僕じゃない。あの茶色や赤の絵の具を混ぜたようなぐちゃぐちゃは、死んでいる。二度と動かなくて、なんの役にも立たない、ただのゴミだ。あれが死んですぐに、生温かい光に導かれて、僕という人格はこっちの身体に宿った。死後、あれの脳に残ってた記憶が電気信号か何かになってこっちの脳に移ったのだ。という事は、クローンを作ってデータを新しい肉体に移して、それを繰り返していれば、永遠に死なないんじゃないかしら。ねぇ、心ってなんなのよ、て、記憶や感情で動く物でしょ、ねぇ。でも記憶が一緒でも、クローン脳はクローン脳で、でも、そんな事言ったら、生きていて普通に細胞が新しくなったらそれはもう別人という事にはならないのかなぁ。例えば、どんどん死んでいく脳細胞を補うように、本人には自覚が感じられない位にゆっくりと新しい脳細胞を作っていく薬があって服用して、記憶も自然と新しい脳細胞が引き継いで、最終的には脳がまるまる新しくなってても、それは前と変わらぬ同じ人なのかというと、そうとは思えなくて、心とは別の、魂みたいなのがあると思う。人格は心じゃなくて、魂みたいな物に宿ってるんじゃないか、てさ。記憶も感情も脳にあって、心は脳にあって、性格も心で脳にあるんだけど、人格はそうじゃなくて、心とは別の何か、それを言葉で表すとしたら魂だよね、多分。
 僕は別人になってしまったのかもしれない。記憶もそっくりそのままだと思うし、性格も違和感は感じられないけれど、魂は僕じゃないのかもしれない。僕は死んでしまって、僕はもう生きていないのかもしれない。心と魂が別物なら、脳が無い動物とか、植物にも、魂はある。と考えるとして、脳死した人にも……だとしたらあれは、僕だ。もういいや、僕の事なんてどうでもいいや。僕は僕じゃないから僕の事なんてどうでもいいのかもしれない。臓器提供者は魂も提供しているんじゃないだろうか。食事の時、食材から、栄養と一緒に魂も食べているのかもしれない。じゃぁ、食べ物を食べて細胞が新しくなると、魂も新しくなるのかもしれないじゃん。
 違うよ、違う、全部出鱈目だ。結局、心と人格の宿る物が別であっても、人格の宿る物が身体と切り離せていない。魂を身体から切り離せてないし。じゃぁ僕は誰? 僕はクローンで、クローンはクローンでしょ。イエスのクローン作って聖書インストールしたらキリストなのかよ? て話だろ。魂を身体から切り離すとか、考えようとしても、幽体離脱位しか思い浮かばないし、幽体離脱なんて知らねぇよ! でももしかしたら、あの生温かい光に導かれていた時が幽体離脱だったのだ、とも考えられなくもない。


散文(批評随筆小説等) 魂を証明できない心 Copyright 光井 新 2011-03-21 08:00:00
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