はずかしいこと
はるな
恋人はときどきすごくやさしいので、わたしは我を失ってしまう。
恋人は、完璧に、臆面もなく、溢れるようにやさしい。それはでもただしいことではないのだ。
ニュースをみて泣いたのは、恐ろしかったからではない。悲しかったからでは。
わたしの友人も、家族も、みなすぐに無事が知れた。泣いたのはそれからだ。
恋人の故郷は崩れた。人々の無事とはべつにして、ふるさとが崩れるというのがどういう心持だろう。弱音を吐くひとだったらよかったのかもしれない。でも恋人はそうではない。夜中の台所で、つめたい床のうえで黙って胃薬を飲むのだ。
体制がととのえば(それにはどれだけの時間がかかるだろう)、恋人はふるさとへ行くだろう。彼には、今はまだ行くべきでないということを理解する分別さえある。
わたしは逃げてしまったような気がしていたのだ。
責められたような気持ちになった。
恋人の家族と食事をした中華料理屋はもうないだろう。あのへん一体、高さが無くなってしまったと聞いた。つみかさなる瓦礫のうえを、強くてつめたい風が吹き荒れる。
わたしもそれを受けるべきだったのではないかと、後ろめたい心持がするのだ。なぜだかわからないけれど、強く思うのだ。
それを言えずに泣けば、恋人は抱き寄せてくれる。冗談も言ってくれる。わたしが塞いでいると、彼はお茶が飲みたいという。熱いコーヒーをいれて。砂糖もミルクもつけて。ミルクはきちんと温めて、と。
彼のためになにかをしているという事実は、精神衛生上とても良い。それをたぶん知っているのだ。彼はわたしの構造をおおかた知っている。そのうえでやさしいのだ。
手があたたかい。背中がひろい。時折パチンコをやりに行ってしまう。帰りにドーナツを買ってきてくれる。眠るときに、そばにいる。
いま、彼が彼のふるさとにいなくてよかった、と思ったのだ。揺れや、波からすこしでも遠い場所にいてよかったと。それで彼が彼の家族と離れ離れになっていても、歯がゆい気持ちになっていても、よかったと思ったのだ。それは決して間違った気持ちじゃないとは思うけれど、安全な場所から言うべき言葉でもない。
生活をとめてはいけない。
それは今に始まったことではないのだ。物事は起こってしまったし、つねに起こり続けている。それは今に始まったことではないのだ。
これがたまたまわかりやすい形であっただけで、どんなときにも物事は起こり続けているし、終わり続けていて、始まり続けるのだ。そのうえで成り立っているいくつもの生活があって、それがどんなかたちに変わってゆくとしても、生活をとめてはいけない。あらゆる手立てで、あらゆる思いのなかで、生活をとめてはないけない。
恋人はときどきすごくやさしい。
ときどきではなくて、しばしばというべきかもしれない。
いくつもの呼び名でわたしを呼んでくれる。わたしはそのたびに名前を変える。
なんだっていいのだ。恋人がわたしを呼ぶためにつかう音が、わたしの名前になる。
はじめからそうだったのか、気づいたらこうなっていたのか、もうわからない。
わたしはもうずっと我を失っているのかもしれない。はずかしいことだ。はずかしいし、はしたない。そうと知りながら、我を失い続ける。
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