ゴミ箱が機能しない
塩崎みあき
煙草の銘柄で『LARK』と書かれた、ちょっと昔によく在りような細長い円筒に底蓋のついたゴミ箱を使っているのだが、なんというか、勝手の悪いゴミ箱で大きなゴミ袋を掛けると筒が細い分、袋に余りが出来てもったいない。小さなゴミ袋を掛けるとゴミを捨ててゆくうちに重みで底に袋が落ちてしまいこれもまた具合が悪い。
そこでゴミ箱の底にダンボールを詰めて底上げをしようと思いついた。小さいゴミ袋を其処に掛ければすべては上手くいくだろう。
案の定、ゴミ箱は大変使いやすいものになり、私は何のストレスもなくゴミを捨てることの出来る毎日を送るようになった。
私の郷里ではゴミを捨てることを「ほる」とか「ほかす」などと云う。「このゴミほっといて」は「このゴミ捨てておいて」という意味になるのだ。この「ほる」は「放る」からきていると推測するのだが、この言葉には「無責任に投げ出す」というニュアンスが含まれているように思える。まあ、ゴミなのだからそれが当てはまっているのかもしれない。
話を元に戻そう。こうして使いやすくなったゴミ箱を最大限に有効活用すべく以前よりも積極的にゴミを捨てるようになった。これまでなら見てもやり過ごす程度の糸くずのようなものなど、ちょっとでも邪魔だと感じたものをどんどん放り込む。放り込まれたゴミ箱の中身はカオスと化して次第にいっぱいになる。そこですかさず袋の口を閉じてゴミの日に出してしまう。また新たなゴミ袋を備え付けるとなんともいえない清々しさというか、愉悦のようなものが心の底から湧き上がって来るのだ。
そうしているうちに段々と大きなものをゴミ箱に捨てるようになった。雑誌やダンボール、菓子折りの空箱など、これらは以前なら丁寧に束ねて廃品回収などに出していたものだ。近頃、子ども会などが主宰している廃品回収がなくなったせいで、ダンボールや雑誌類が溜まって鬱陶しいということもあるが、それ以上に「捨てたい」という自分でもよく分からない衝動が心の奥底で立ったりしゃがんだりして落ち着かないのだ。
大きな紙袋を捨てたときだった。殆ど畳まず無理に突っ込んだものだからゴミ箱に蓋のようにつかえてしまった。取り出そうと引き戻すと下にある細かいゴミがぽろぽろと外に溢れ出そうになる。いけない。押そうとするとゴミ袋ごと一緒に下のほうに押し込んでしまう。これもいやだ。まだ袋の容量には充分な余裕があるので袋を取り替えたくはなかった。とりあえずそのままにしておいて、絵などを描いて過ごしていた。しかしすぐさま支障がおこる。消しゴムのカス一山、鉛筆の削りカス一杯捨てられない。それどころかホコリ一片、かみの毛一本すら捨てられないのだ。しかしどうしようもない。ゴミ箱はこれ一つしかないのだから。ゴミ箱が機能しない、消しカスを出さないために絵を描くことを止め、ゴミ箱が機能しない、削りカスを出さないために文字を書くことを自粛し、ゴミ箱が機能しない、かみの毛を落とさないために髪を梳くのをやめ、ゴミ箱が機能しない、ホコリが出ないように一所から身動き一つしないようにした。ゴミ箱が――
なのにどうしてか私の周りにはゴミが止め処もなく溢れてくるのでいたたまれず叫び出したいような気持ちになった。――機能しないゴミ。
一刻も早くこの状況を打開しなければ私は気が狂ってしまうだろう。それはよく解っていたのだが既にゴミ箱を見ることすら恐ろしくなっていたので、私はいつまでも其処でがたがたと震えているしかなかった。