近代漫才の変遷パート2・ネタかキャラクターか?〜南海キャンディーズと、いとしこいし〜
TAT
さて。でわタイミングは既に死ぬほど外してますが続編でも書きますか。筆者的なアレで言うと、前回調子と興に乗って【批評祭参加しない作品】とか標榜して投稿したやつに奇しくも相田さん本人からコメント頂いちゃって何か悪いなぁ、、。とかも思ってた訳ですが自分の中の熱が上がっていかないと書けない。そういうのって分かりますか?僕自身は誰に聞いてるのかさっぱり分かりませんが。あ、あと僕のオムそばチャーハンとジェノバ風サラダまだですか?まだ?そんじゃー生おかわり。あともろきゅうと冷奴。
いとしこいしが二匹とも死んだ。『匹』という字を敢えて使わせて貰う。かつて漫才は喋った後に唄や三味線で締める物。だった。喋りだけでは芸として成立しないから。詩吟や民謡は芸として客前で通用するが漫才となるとそうは行かない。まさかだらだら喋ってそれで芸で御座い!木戸銭を下さいまし!では到底通用はしない。そんな訳で昔、漫才の締めには音曲が付いていた。これを覆したのが誰?エンタツアチャコです。詳しくは未知でも彼らの固有名詞ぐらいは知ってるっしょ?エブリワン。彼等のネタに『早慶戦』とゆー大学野球を題材に取った有名なのがあるがそれは例えば手塚治虫の漫画の中でも引用されてます。針仕事をしながらラジオの漫才に思わず笑う、、。そういう社会情勢だったんでしょうね、当時は。驚異的なのは現在でもウケルかも、、なんですよね。『早慶戦』と来たら。
『出ましたヒット!!ヒット!!ひっとごろし〜〜!!!!!』
『何言うてんねん!!!』
『四対三でした!』
『ほう、、。どっちが勝った?』
『どっちてそれは、、。四の方が勝ちました!』
『そら分かっとるわ!四はどっちや!』
『四は勝った方や。』
太平洋戦争の折に荒鷲ならぬ『笑鷲隊』と称した一団が戦地を慰問して廻りました。中身は吉本興業のヤクザな芸人連中です。前線へ向かう戦闘機(もちろん火気厳禁)のコックピットの中でアチャコさん『今日のネタ行けるかなぁ、、。戦地の兵隊さんに通用するんやろか、、』と不安に駆られて後ろを振り返りました。振り返ったらエンタツさんはがっつりマッチを擦って若葉をふかしていてアチャコさん『アカン、、。火気厳禁言うてるやんけ、、。ネタ関係ないわ、、。死んだ、、、。堕ちた、、、。』と思ったとか。
う〜ん、、。強烈にかっこいいよねwそういうエピソード!
揃いのスーツで舞台に上がらねばならぬ時代に普段着のジーパンで舞台に上がったコンビが居ました。中田カウス・ボタンです。『やめい!お前らの漫才は漫才と違う!チンピラの立ち話じゃ!』と横山やすしに一喝されたコンビが居ました。ダウンタウンです。
かつて午後の陽光に揺れる大阪南海電車の陽だまりの中で、横山エンタツに芸名を聞かれたコンビが居ました。それが、後の夢路いとし喜味こいしです。無冠の帝王、笑い飯が『その入り、いとこい先生のパクリやろがー!!!』と吠えるネタを作る四十年も前の話、中川家が『いとこい先生は『あんたらいっぺん受けたネタはそこに力入れるやろ?それがあかん。どや!っちゅうのが漏れたらあかん。さらっと行かな』ってゆわはるけどそれは無理w力は絶対入ってしまう。まして自信のあるネタやったら尚更、、』とほざく四十年前、そして。ビートたけしが『自分がペーペーの時代から一線を張ってた人達だから同じ舞台に上がるのはおこがましい』と発言したえ〜っと。
何年前の話だっけ?
いとこいの末期はそれはもう面白かった、、。出囃子が鳴ってお爺ちゃんがとことことことこ出て来る。それがもう決定的に遅いw正に年寄りのスピード。やっとセンターマイクに辿り着いたと思ったら何か立ち位置の譲り合いとかやってる、、。そんで始まったと思ったら先日文化勲章をくれるちゅうんで出掛けまして、モーニングを着ていきました!君モーニングて分かるか?分からいでか、背広やがな。せや!モーニングは着な損や!何で又?モーニング着て店に入る。そしたら食パンにな、サラダとコーヒーが付いて来る!
そら喫茶店の話やろ君!
あ。南海キャンディーズまで届かないですね。申し訳ない。そこらは次回があれば又。あとちなみに第三回のタイトルは『近代漫才の変遷パート3・〜ジュニアと松本に見るミック・ジャガーとスティーブン・タイラーの関係性〜』をお送りするとかしないとか。
でわ皆、歯ぁ磨いて寝ろよ。