基地内沙汰
只野亜峰

 ケヴィン・メア氏が更迭され米国が正式に謝罪声明を出したというニュース。個人的には土肥隆一なる愚かな議員の動向のほうが興味をそそるのだが、salco氏の基地外沙汰に触発されてメア氏を巡る一連の報道を考えてみたいと思う。
 はじめに言っておくとメア氏は本来親日派と評される人物であるようだ。夫人が日本人である事から踏まえても、少なくとも反日感情を強く持つような白人至上主義者で無い事だけは確かであるだろう。では、そんな人物が何故に沖縄に関して不用意な発言を繰り返したのかを考えると、それは鳩山由紀夫に行き着くのではないかと思う。鳩山由紀夫なる愚かなる首相が推進し、最終的に挫折した沖縄を巡る一連の政治的失策が日米関係を信じられないほどに悪化させ、その結果として日米に不必要な軋轢が生まれた事は否定できない。そういった意味で言うのであれば日本国民も沖縄県民もケヴィン・メア氏も、あの"メディアに煽られた憐れな国民の気の迷いが生み出した愚かなる政権与党"の被害者であると言って良い。
 そもそも長年政権与党として自民党が携わってきた日米の安全保障問題に関して、たかが一度政権を掠め取っただけの民主党が土足で踏み込み、戦後60余年調整し続けてきた過程を全て無視して"沖縄県民の感情"とやらだけを悪戯に強調してきたのだから当然至極の結果であるだろう。
 
 そんな中で米国の対応はなかなかに理性的であったと思う。悪化の一途を辿った日米関係の最前線にいたメア氏の苦悩には同情の余地はあるにせよ、立場を考えれば不用意な発言であった事は否めないし、デリケートな時期であった事を踏まえれば更迭は事態の収束を図る上で合理的な対応であった。
 しかしながら自らは一方的に不平不満を主張し、相手に大人の対応をさせる場面の増えた日本国の外交を思うとなかなかに吐き気がしてくるものである。かつて世界から尊敬を集めた日本の和の文化は、どうやら政権交代のどさくさにまぎれて霧散してしまったらしい。このような外交の形が民主党が執拗に煽った"対等な日米関係"であると言うのなら願い下げも良い所だ。
 沖縄という地に住まう人達の苦悩は関東に身を置く私の生活からは計り知れないものがあるのだが、それでも米国に対する沖縄県議会の姿勢というのはいささか懐疑的なものがあるのは否めない。外国籍の軍隊がすぐ側にあるのだから問題は起こるにせよ、これだけ情熱的に問題を深刻化させている自治体は沖縄だけのように思う。米軍基地は青森にも神奈川にもある。青森や神奈川にトラブルが無いのかといえばそうでは無いし、現在も調整が続いている問題も多いが、日米関係を根底からひっくり返すような主張に発展した記憶はあまりない。
 それを踏まえて考えると"沖縄県民の感情"とやらに関しては懐疑的な姿勢で臨まざるを得なくなってくるわけである。それは一昔前に世間を騒がせた"派遣村"のような、特定の政治的・思想的思惑のある団体の扇動に歪められた存在と同様にである。確かに在日米軍基地というトラブルの種を抱えた沖縄県の人々の苦労は尊重されるべきものであるが、それがプロ市民と揶揄されるような政治的・思想的団体に歪められたものであるのならやはり切り離して考えていかなければならないだろう。

 日本は第二次世界大戦の敗戦国である。敗戦国である劣等感こそが、在日米軍基地を米国支配の象徴や戦後の悪しき遺物としての認識をもたらすのかもしれない。だからといって安易に在日米軍基地の存在を否定する事は、軍事的なバランスを取る必要がある先進国の一翼としての義務の放棄に他ならないし、なにより主義主張を異にする諸外国の存在がある以上、同盟国である米国と軍事的な調整を行うことは日本が誇りある独立国家として存在する上で必要不可欠な事である。ましてや"戦争の放棄"を謳う憲法九条を掲げていくためにはなおさらの事だ。
 ケヴィン・メア氏に纏わる一連の報道は、在日米軍基地を取り巻く諸所の問題に取り残された敗戦国である劣等感を浮き彫りにしたように思う。しかしながら日本が独立国家としての体を保ち続け、戦後の焦土から信じられない速度で復興と経済的成長を果たし、世界から尊敬を集める先進国となった事もまた事実である。
 少なくとも現在を生きる日本人である我々に必要な事は、敗戦国でありながら欧米諸国と渡り合い、今日の日本を築いてきた先人達の行為を踏みにじる事では決して無い。誇りある敗戦国の一員として、今後の日米関係のあり方を見守りたいと思う。


散文(批評随筆小説等) 基地内沙汰 Copyright 只野亜峰 2011-03-11 02:29:58
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