基地外沙汰
salco

 米国務省のケヴィン・メアという高級官僚が沖縄について、「ゆすり常
習の怠け者」との形容をし、ヒラリーの次席にいるキャンベル国務次官補
が条件付きながら公式に謝罪したとのニュース。
 無論、時間にルーズで万事に鷹揚な沖縄びとの気質を指した差別的発言
ではない。等しく日米安保条約の下に在りながら懸案事項のいちいちにつ
いてゴネてみせる、住民の総意としての自治体の在り方を揶揄したのだ。
それで、等しく日米安保条約の下に在る我々日本人いやヤマトンチューが
どの程度むかっ腹を立て心情を傷つけられているのか。

 宜野湾市の沖縄国際大学構内に在日米軍のヘリコプターが墜落した事件
は記憶に新しい。基地外の私有地であるにもかかわらず、日本の司法権は
予め拒絶されたものとして諒解済の日本政府は、異を唱えもせず涼しい顔
だった。合衆国軍事法廷はイラクやアフガン以外でも幅を利かせているら
しい。
 かくして黒く焼け爛れた校舎の脇で私有財産の検分をするのは加害者と
しての米軍であり、国民生活の安全を図る筈の警官達は、黄色い「KEE
P OUT」の外で雁首を揃え、阿呆のように佇んでいた。
 そこに落ちたのがミサイルだろうと爆弾だろうと同じ事、世界に名だた
る珊瑚の群生地である辺野古沖への普天間基地移設期限が過ぎているにも
関わらず、飛行訓練は連日早朝から深夜まで繰り返され、今日もまた、ち
ょいと不具合の生じた一機が県民の庭先に墜落したというわけだった。

 フェンス一枚を隔てたあちら側にはアメリカ国民の為の「思いやり」と
手入れの行き届いた広大な芝生が延々と続き、こちら側には日本政府に人
頭税を払っている県民の圧搾されたアルミ缶のような、薄汚い住宅群が立
錐の余地もない。
 こうして六十五年間もアメリカに占領され続け、頭上を戦闘機が轟音と
共に離発着を繰り返し、国道には軍用物資を満載したトラックが連なり、
弾薬庫やミサイル発射台をカムフラージュする丘の向うには油膜の漂う港
湾があって、軍艦や潜水艦が整列している。那覇に降り立った観光客がま
ず目にするのがこの異様だ。この島に、今でもやはり敵国の攻撃は空と海
からもたらされるのだ。

 沖縄県民の誰一人として日米安保条約の調印に携わったわけでもなく、
星条旗の栄光に忠誠を誓った者などいないのに、日本軍が尻をまくって敗
走した激戦の痕を今なお海岸線の崖肌や山腹の洞窟にとどめながら、エメ
ラルド・グリーンに浮かんだ、このひしゃげた文鎮形の島は、相も変わら
ず日本の領土から何と遠く置かれている事か。
 その昔、ヴェトコンの脅威も無い代わり射撃の醍醐味も無い任務のMP
は、ぶらぶら歩きの退屈しのぎに畑を耕す老婆をフェンス越しに射殺した
ものだが、今世紀はさすがに人道教育が浸透したのか、最近の米兵は強姦
程度で気晴らしを済ませてくれている。
 いずれ日本の司直の手は被害者にも加害者にも及ばない。つまりは中国
・朝鮮を占領した関東軍よろしくやりたい放題、小学六年生を車に引きず
り込んで輪姦した黒人兵達を大騒ぎの末、県民の総意で日本の検察に引き
渡す事には特例的に成功したとしても、莫大な予算と維持費を費やしたヘ
リコプター一機の価値と、一般社会に於いてはチンピラに等しい無学で粗
暴な兵隊とでは、日米地位協定の意味がまるで違って来るのだ。
 その価値の相対的差異は、まして「現住民」とならば尚更だろう。墜落
によって何十人の死傷者が出ようと、地位協定によって優先されるべきは
アメリカ政府の所有物ガバメント・イシューなのだ。何故なら沖縄は六十五年前、日本政府に
よってアメリカ政府に差し出された唐人お吉に過ぎない。

 その娼婦は、毛唐の劣情から日本人子女を守る為に差し出された人身御
供。日本政府という女衒の保護下には無い。好むと好まざるによらず治外
法権下に置かれ、日米安保条約という淫靡な赤布団の上に抑え込まれて占
領者の毛深い腹の下で陵辱され、蹂躪され続けなければならない存在だ。
ポン引きがその小さな掌に握らせる涙銭を受け取ろうが受け取るまいが、
何ら情勢に関与はできない。何故なら、性欲の緩衝地帯に過ぎない唐人お
吉に人権は存在しないのと同じく、日米双方にとって簡便至極なお基地用
地であるに過ぎない沖縄県及びその付随物たる県民に、認めてやるべき尊
厳などあろう筈がない。

 沖縄県民、いやウチナンチューは、この現状に「大和人」が多少なりと
も沖縄県民へ心を寄せるなどと思い違いをするのはやめた方がよい。テレ
ビの前で軽く眉根を寄せてはやるものの、「内地」の日本人達が辺境の島
・沖縄に求めているのは、ただ列島離れした観光資源としての海や「自然
」やエキゾチシズムだけなのであり、そこで暮らす土着民の、心情も含め
た存在など眼中にありはしない。いくら沖縄出身者の容姿や芸風がテレビ
の中でもてはやされようと、実はどうでもよいのであって、東南アジアの
郷愁を強烈に喚起するその素朴な文化なども、日本列島の中央に鎮座まし
ます京都あたりの文化財に比べれば、いくらなりと焦土の熾き火にくべて
構いはしない代物だ。
 海のきれいな白砂の観光地などいくらでも他にある。三十分先に在るサ
イパンの方が却って安上がりな程だ。倍額の予算を組める者は、ベストリ
ゾート・ハワイに行くまでの話。
 こうして沖縄の悲惨など、対岸の火事ですらない。等しく日米安保条約
の傘下には在れ、日本「本土」の国民達は、その緊縛を直接肌に食い込ま
せている沖縄県民に対して何らの恩義も同情も感じてはいない。せいぜい
お吉の筵掛け小屋を通り過ぎる時に覚えるのは、劣位の犠牲者に対する、
くすぐったい優越感でしかないのだ。


散文(批評随筆小説等) 基地外沙汰 Copyright salco 2011-03-10 22:08:40
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