【批評祭参加作品】空が青いから白をえらんだのです 奈良少年刑務所詩集
石川敬大
編者は泉鏡花文学賞受賞者で、童話や詩も書くマルチ作家の寮美千子さん。そして掲載されている詩の作者は当然ながら実名を避けて、標題にある通り少年刑務所の〈受刑者〉となっています。
なぜ、この詩集が編まれることになったのか、簡潔に説明しますと、
奈良少年刑務所の教育方針として、再犯者が多くなる服役中の受刑者たちに情操教育の一環の「社会性涵養プログラム」というカリキュラムが組まれました。その柱となるものは三つ、「SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)」という挨拶の仕方を実践的に学ぶもの、「絵画」による色彩の表現、そして寮さんが担当された「童話と詩」による言語表現の情操の「耕し」で、各々月1回6ヵ月にわたって実施されたものです。彼女は、「福祉の網の目」に「かからなかった」、「いちばん光の当たりにくいところにいた子」たちの授業にあたって、課題図書として4点の童話とまど・みちお、金子みすゞの詩集を使い、つぎに子どもたちに詩を書かせ、自作詩をみんなの前で朗読させて合評したのです。それがこの詩集に収められた詩篇だということです。概略そういうことで、そうおおきく誤ってはいないかとわたしは認識しています。
いくつかを紹介したいと思います。まず、タイトルにもなっている詩『くも』で、つぎのような一行詩です。
くも
空が青いから白をえらんだのです
一行だけなのでよくわからないのですが、この詩は、死んだおかあさんが病院で、少年に「つらいことがあったら、空を見て、そこにわたしがいるから」と言った記憶を想起しての詩だということです。ふわふわの白い洗濯物と母親がダブルイメージされており、ほかの受刑者たちにも深い共感をもたれた作品だといいます。
夏の防波堤
夕方 紺色に光る海の中で
大きい魚が小魚を追いかけているところを
見ました
鰯の群れが海の表面をパチパチと
音を立てて逃げていきました
この詩は、課題図書として読んだと思われる金子みすゞを想起させますが、この詩を書いた少年は釣りが好きで、魚のことに詳しいのです。当初、消え入りそうに小さな声でしか人前で話せなかった少年が、この魚の詩をきっかけに魚のことに詳しいとみんなに認知され、そのことで人前でも堂々と話せるようになったそうです。たしかに「海の表面」を「パチパチ」と「音を立てて逃げて」ゆく魚の様子を、実に活き活きと描いていることがわかります。魚が好きで釣りが上手な、少年ならではの詩だということがわかります。
ゆめ
ぼくのゆめは……
これだけの詩です。すごい一行詩だと思います。なぜなら、少年の「ゆめ」が、言葉にされずに、言葉にならずに、これだけの表現の背後にすっかり隠れてしまっているからです。したがって読者は、読者じしんの、それぞれの「ゆめ」を語りだすしかないでしょう。あとは読者が、勝手に「ゆめ」を語ってくださいと言わんばかりの強烈な、衝撃的な詩だと思います。
言葉
言葉は 人と人をつなぐ
ひと言だけで 明るくなり
ひと言だけで 暗くなる
言葉は魔法
正しく使えば
たがいに楽しいし 気持ちがいいけど
間違えば
自分も相手も傷ついて 悲しくなる
言葉はむずかしい
けれど 毎日使うもの
大切に使って
言葉ともっと なかよくなりたい
実にストレートな表現なのですが、ひととひととのコミュニケーション・ツールとしての「言葉」のもつ楽しさと怖さを「魔法」という言葉で束ねてあり、的確に捉えているといえます。
後半は母親をテーマにした詩を並べていますが、どれも心を打ちます。なぜ心を打つのかといえば、これらの詩が率直に真摯に表現されている分、詩が言葉だけで完結してしまわずに、表現に実人生が直結している点でしょう。『誕生日』という詩を引用してみましょう。
誕生日
小さいころは いつも手を引いてもらったのに
いつのまにか その手を拒み 避けてきた
「産んでくれなんて 頼んでない」
勢い余って そう言ったとき 泣き崩れた母
きょうは わたしの誕生日
それは あなたが母になった誕生日
産んでくれなんて 頼まなかった
わたしが自分で
あなたを親に選んで 生まれてきたんだよね
おかあさん 産んでくれてありがとう
次は『ごめんなさい』という詩です。
ごめんなさい
あなたを裏切って 泣かせてしまったのに
あなたは ぼくに謝った
アクリル板ごしに ごめんね と
悪いのは このぼくなのに
あの日の 泣き顔が忘れられない
ごめんなさい かあさん
面会の時間に、「アクリル板ごしに」話したことを思い出して書いたのでしょう。悪いことをして刑務所に入れられたのは少年なのに、母親の方が謝るのです。泣いて少年に謝るのです。その姿をみて少年は悪いことをした、母親を泣かせてしまったと悔やむのです。「ごめんなさい かあさん」と言って悔やむのです。そして別な子なのですが、受刑者の子の心理は、じぶんの過去をこんな風に回想するのです。
いつからだろう
いつからだろう
いっしょに歩くのが恥ずかしくなったのは
いつからだろう
距離をおくようになったのは
いつからだろう
話をしなくなったのは
いつからだろう
顔を合わせなくなったのは
いつからだろう
「ただいま」と言わなくなったのは
いつだって
笑顔を向けてくれた母さんなのに
そうなんです。母親の育児の手なくしては赤ん坊や子どもは生きてゆけなかったのです。つないでいた手を離して、ひとは独り立ちしてゆくのですが、家に帰っても「ただいま」とすら言わなくなる時期があります。話をしなくなる時期があります。そしてついに、非行に走ることも。でも母親は、どんなときにでも「笑顔を向けて」待っていてくれるのです。少年はいま、そのことに気づいたのです。気づいたのならきっと、二度と非行に走ったりしないでしょう。母親を泣かせるようなことはすまいと思うでしょう。
この詩を書いたOくんのことを、編者である寮美千子は次のような後日談で、受刑者の更生のきっかけとなる心理としてこのように的確に描いています。
体が大きなOくんは、話すのが苦手。
それをカバーするように、いつも威圧的な態度で通してきました。
けれど、それでは通用しなかったから、刑務所に来てしまった。
そんなOくんのなかに、こんな言葉の結晶があったとは!
みんなもびっくりして、ほめちぎりました。
すると、Oくん、いままで足を開き、ふんぞり返っていたのが、
姿勢がよくなって、やがて前のめりに体を乗りだし、
みんなの言葉に耳を傾けるようになったのです。
評価されること、共感してもらえること。
それは、人間にとって、とても大切なことなのだと感じました。
本の最後に収められているエッセイ『詩の力 場の力』もまたとても示唆に富んだ文章でした。受刑者に詩を書いてもらい朗読をし合評するのですが、作者は驚きます。「誰ひとりとして、否定的なことを言わない」し、「相手のいいところを見つけよう、自分が共感できるところを見つけようとして発言する」というのです。それは、「刑務所の先生方が」「彼らのありのままの姿を認め、それを受けいれているというメッセージを発信し続けていらっしゃる」その日常的な在りようが自然と醸しだされてくる雰囲気になっているというのです。
また、自作の詩を朗読する仲間の姿に「耳を澄まし、心を澄ます。ふだんのおしゃべりとは違う次元の心持ちで、その詩に相対する」。すると、たった数行の言葉は、「強い言葉として、相手の胸に届いていく」。
(略)出来、不出来など、関係ない。うまいへたもない。「詩」
のつもりで書いた言葉がそこに存在し、それをみんなで共有する
「場」を持つだけで、深い交流が生まれるのだ。
大切なのは、そこだと思う。人の言葉の表面ではなく、その芯
にある心に、じっと耳を傾けること。詩が、ほんとうの力を発揮
できるのは、実は本のなかではなく、そのような「場」にこそあ
るのではないか、とさえ感じた。
すっかり引用が多くなってしまって恐縮しますが、こんなにも他人の詩の朗読に「耳を澄まし、心を澄ます」ことができる少年たちが、なぜ受刑者として刑務所にいるのか。少年たちの歪められた心理によってひきおこされた犯罪行為の不条理こそ、日常や常識と言う観念を抱えた社会の側の負の側面を激しく乱打するのではないでしょうか。ともあれ、受刑者にとっても「詩の力」と朗読という「場の力」は、情操を耕されなかった少年たちにとっても詩の言葉の効用として、確かにここに証しされているように思えたのでした。
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第5回批評祭参加作品