【批評祭参加作品】主観という自家薬籠中の物
石川敬大

 ひとつひとつその差異を指摘して、歴史の最後尾でゆっくりと歪に矮小化されて固着しかかっている流動体を、これは異質なものであると拒絶し、分離し、絶縁状態にしてしまい、消尽する方向に彎曲させる側の勢力に手を貸すことよりも、仮に無理無謀かとも思える困難さに直面しながらも、歴史のある一区画に正しく接続させることのほうが、詩を語る評者にとってははるかに難易度のある作業だと思う。

 いかにつないでゆくのか、接続する接点をみいだすことに価値の軸足を移して、その発生する熱量を、じしんの内部で消化・吸収することは、他面において、衰弱しきった詩の生命力に対する多少なりの救命救助、あるいは援助の一助となるのであるのなら、より賢明な選択だとはいえるのではないだろうか。

          *

 中原中也賞はがんらい「新鮮な感覚を備えた優れた現代詩」の書き手に贈る賞という主旨の性格によるものか、これまでに豊原清明のある種の稚拙感すら感じる詩集『夜の人工の木』や、和合亮一の言語暴力的なまでに圧倒的な語彙の量を誇る詩集『AFTER』、さらに若年者に授与しようとする傾向があることを選考委員の知人から訊いたこともある。
またそれは、既存の価値に対して対極とはいわないものの、別種のものを顕在化させることができるものを授賞対象作品に選んでいるかのような印象も受ける。

 川上未映子作品集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』(第14回2009年に授賞)を今回は論じてみたい。わたしはこの本を詩集とは書き記さない。どうしても抵抗感があるのも理由のひとつだが、この本のどこにも詩集であるとか、詩作品であるとかの言葉が書き記されていない(事実誤認なら指摘願えれば幸いです)せいである。
 この本を読了したいまでもわたしは、これが詩集なのか、なぜ小説ではないのか、それとも小説のつもりで書かれたのに、ユリイカに掲載されて青土社から刊行されているから詩集として、賞の対象作品集となってしまったのか、事情が分からずわけがわからないのである。
 と、ここまでは、否定的な言辞を弄した文章にしかみえないだろうけれど、わたしは、ここに掲載されている七篇の作品のどれをとっても絶対に詩ではないと、断言するつもりは毛頭ない。いや反対に、詩を感じてしまったことが問題で、それゆえにオロオロウロウロしていつまでも拘ってしまっている、そんなじぶんが厭で仕方なく、早く決着をつけてしまいたいのである。

 いったいこの本のなかのどんな箇所の、どんな言語表出が詩的であるのか。選考委員たちが詩の賞を授与するということは、これが小説やエッセイなどではなくて、詩集として読まれ感受された何よりの証拠なのだろうから、これが、どうして詩集と感じられるのかを検証しながら詳細に読んでみることにしよう。

          *

 表題作(タイトル省略)は、関西弁(大阪弁?)が目につき、耳につき、その次の『少女はおしっこの不安を爆破、心はあせるわ』もその傾向はつづく。だが、以後じょじょに、いつの間にかといった感じで、書き言葉に変化してゆく。まぁ、そのことは良い、そっとしておこう、たいして重要な要素ではないから。関西弁の表記の、面白さと同時にある地域内で通用する感覚的なニュアンスの、地域外の読者には伝わりづらい面がすこし気になっただけだから。そのことよりも、作者の常に内にむかう視線というか、主観という内在性のフィルターを通した感覚的な文体に明確な特徴をみる思いがした。さらに作者である川上の、自意識によって言語化するときの精神性が、その位相が、求道的であり求心的であり、そして既存の価値とともに、観念や物事の概念に対していつも懐疑的な目を持っており、まるで発足当時の民主党みたいに、あるいはなんでもじぶんの身体で肌で感覚で確認しなければ気が済まない幼児のように、外在するものに対して検証し吟味するといったことをやっていることがさらなる特徴であろうか。

 以下に、文章の一部を引用するので、わたしの言わんとしていることを読者諸氏じしんの感覚で検証し確認していただきたい。


     (略)
  図書館は象の目です。
  数え切れない皺に守られて慈悲を練り込んだような暗黒の象の
 目なのです。それは堂々としたあらゆる球体の母親であるかのよ
 うに深く深く、波うっています。その象の目には本という何十億
 の面が反射しあって何億という人々の色々が映っています。思い
 出や意見や成就や残念が映っています。影がしゅっと消えたかと
 思えば音楽が鳴り、しくしくと泣き、抱きしめあい、死に別れ、
 企みがあり、論理があり、悔しい気持ちに死んでしまったあの晩、
 告白が解除され、陥れられ、復讐や、手紙を書いたりしているの
 です。数字の曼荼羅が一面に広げられ、虐げられた感受性その他
 が眠るのです。約束を交わし、各種の素晴らしさや尊敬、見えな
 い力は語ることによって語られ、また美しい言葉遣いに語られる
 ことによって、洗濯婦や、芸術家や、名もない感情の行き来や営
 み、動物や、出来事の頰が、みるみるうちに誇らしげに、紅潮し
 ているのです。そのいっさいが真っ黒な目の底に、ゆっくりとき
 らめいています。ここは言葉。そして、観念の器官であります。
     (略)
                『像の目を焼いても焼いても』より

  促進
  わたしはあなたを知りたいと思う。あなたを知りまくりたいと
 思う。知れるところまで知りつくしてこれ以上は色々が逃げ込む
 余地のないところまで知りつくしたいと思ってしまう。あなたの
 ことを思います。わたしはあなたのことを知りたいと何度もその
 まま言葉にして思うけれど、知りたいということがいったいわた
 しの何を満たすことになっているのかも検証もなにも出来ていな
 いのに知りたいという言葉でわたしはとりあえず次に進もうとし
 ています。
     (略)
                    『告白室の保存』冒頭より

  あんまりにも夜のような色のペン先を舐めて、舐めても舐めて
 も、インクを舌のうえでどれだけ吸っても口は色づくことがない
 のできりがない。またも夜、窓を開けて眠ればドアとの一直線を
 結んで、風が絶えることなく吹き抜ける、壁があるのに、馬鹿み
 たい、部屋のなかを風がいつも吹いているなんて、馬鹿みたいだ、
 最近はこの風のせいで部屋がとても乾燥していて、乾燥が憂鬱を
 服用して粉になって迫ってくるので、少女のふたつの目は乾いて
 しまってしかたがない、ただでさえ小さな目に小さな硝子を入れ
 ているのに、そこにも風は吹きつけてゆくのだから、大切な少女
 の家計簿の詳細がうまく見えないときもある、困る、書きつけら
 れた文字は水中のように震えるので、あらゆる発見が用心をかさ
 ねて去ってしまうまえに、少女は新しい目硝子を購入するために、
 バスを選んでバスに乗って、渋谷へでかける。
     (略)
                     『夜の目硝子』冒頭より


 最初の『像の目を焼いても焼いても』の一文で指摘するなら、「慈悲を練り込んだ」ような「暗黒の象の目」、「球体の母親」であるかのように「深く深く、波うって」いて、「思い出や意見や成就や残念が映って」いるといった、主観的で感覚的な語句と、その後の、畳みかけるようにつづいてゆく語句の、メタファのなかの暗喩でも換喩でもなくて、強いていうなら感覚的なインスピレーションからくるイマジネーションによる、多彩な語彙を駆使した言語展開力をみることができるだろう。
 次の『告白室の保存』では、先に指摘しておいた求道性や求心性をみるだろうし、『夜の目硝子』だと「乾燥が憂鬱を服用して粉になって迫ってくる」とか「書きつけられた文字は水中のように震える」といった語句に、言語を物質化する能力や、外存するものを異化できる目を、川上が所持していることを示唆することができるかもしれない。
 『夜の目硝子』の「目硝子」とは、つまり体制側、既成の側の商品名でいうならコンタクトレンズのことであり、〈主観という内在性のフィルターを通した感覚的な文体〉とわたしが先に指摘しておいたように、川上はじぶんの感覚に適合する言葉をじぶんが保有し駆使する言語群のなかから探してきてあてがい、言語表出時の内的システムを構築することによって、自家薬籠中の物として表出言語をあやつる術を獲得したのではないのだろうか。

 ここからは、わたしの妄想寸劇だと笑って許していただきたい。そのうえでの話として、冒頭の、この作品集は詩集ではなくて小説なのではないかという疑念に対しての仮説なのだが、川上にとって、詩であるとか小説であるとかのボーダーはがんらい存在せず、作者の内部でかたちをなしてくる物語もまた、主観という自家薬籠中の物であるならば、言語抽出時における表出言語の違いによって、あるいは無意識の選定・選別によって詩的になり、または小説に近づくということなのだろうか。それにしても川上の詩と小説の違いは依然不明のままなのだけれど、この論考は本書のどこが、なぜ詩集であるのかを検証することが主旨だったので、小説との違いはまた別の機会に譲りたいと思う。

 また、わたしがここまで論じ指摘した事柄に目をむけて、価値を与えて、中原中也賞の選考委員たちが授賞対象作品としたのであったのなら、わたしはいまのところ肯うしか手がない。


散文(批評随筆小説等) 【批評祭参加作品】主観という自家薬籠中の物 Copyright 石川敬大 2011-03-06 10:10:38
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