【批評祭参加作品】アニメ『ハートキャッチプリキュア!』に見るソーシャル・ワーク
口菜はたま
『ハートキャッチプリキュア!』は、2010年の2月から1年間、ABC・テレビ朝日系列で放映された女児向けのテレビアニメーションである。おおむね中学2年生の少女らが、魔法の力で「プリキュア」に変身し、仲間と力を合わせ悪と戦う物語であり、登場人物や舞台を変えながら、2004年の放映開始より現在(2011年)まで、シリーズが継続されている。
『ハートキャッチプリキュア!(以下ハートキャッチさん)』を特筆すべき点のひとつに、「プリキュア」の立場・役割の特殊性をあげることができるであろう。
ハートキャッチさんの戦う相手は「砂漠の使徒」を名乗る一味で、彼らは人々の「弱った心」から「デザトリアン」と呼ばれる怪物を作りだす。人々や街を襲うデザトリアンとプリキュアは対決し、結果的にはプリキュアが勝利する。注目したいのは、プリキュアがデザトリアンを倒したからと言って、デザトリアンの「素」となった人間の「弱った心」が回復するわけではない、という点である。「弱った心の持ち主」から見てみれば、自分の意志とは関係のないところで「デザトリアン」が作りだされ、デザトリアンとプリキュアは自分の知らないところで戦っているのである。ここに、ハートキャッチさんの立ち位置の特殊性を見て取れよう。彼女たちは「(心の弱っている人の)問題そのもの」には介入していない(できない)のである。
「ソーシャル・ワーク」は「社会福祉援助技術」とも訳され、社会福祉の観点から、何らかの困難を抱える人間を援助する技法のひとつである。19世紀のドイツやイギリスにその原形が見え、その後時代の変化や、あるいは心理学・社会学・経済学といった様々な学問の影響を受けながら発展を遂げてきた。ソーシャル・ワークの具体的な内容についておおまかに言えば「問題を抱えている人(クライエント)と話し合い、ともに問題解決の手立てを考え、実践を援助すること」と言えるだろう。重要なのことは、特に現代のソーシャル・ワークにおいてであるが、「援助者はあくまでも援助者であり、直接問題を解決するのは、クライエント自身である」という点を、援助の基盤に置いている、と言うことである。ここに、ハートキャッチさんとソーシャル・ワークの符合を見ることはできないだろうか。
具体的に、相談援助の展開過程を交えて見ていよう。
まず、「砂漠の使徒」は「心の弱った人間(問題を抱えた人間)」を見つける。心の弱った人間からデザトリアンを作りだすとき、デザトリアンは元の心が抱えていた問題を言語化して叫ぶ。まさに心の声である。この一連の流れは(図らずも敵側によって行われているが)、相談援助の過程で「インテーク」「アセスメント」と呼ばれる段階にひとしい。情報の収集と分析、解釈の段階である。
デザトリアンとプリキュアの対峙はさらに象徴的である。
たとえば、認知症の人が昼夜を問わず徘徊し家族が疲弊しきっている、という話はよく耳にするであろう。俗に言う「問題行動(BPSDと呼ぶ方が好ましい、後述)」である。だが、彼は何も、家族を困らせようと徘徊しているわけではない。「家に帰りたい」だとか「まだ明るいじゃないか」とか、彼なりの正当な理由があるのである。ただ、彼が帰ろうとしている家は半世紀も前に取り壊されてしまった彼の生家であり、彼にとって夜と言えば星明かりのみの暗闇で夜通し電球が灯っていたことなどなかったので、残念ながら彼の言動・行動と周囲の認識とは大きく食い違ってしまう。この場合、彼の援助者がすべきことは、彼を力づくで押さえつけることでも、彼に真実を突き付けることでもなく、どうすれば彼の行動が「問題」にならないか、考えることではないだろうか。プリキュアとデザトリアンの戦いは、まさにこの「BPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)」への対応と見ることはできないだろうか。
援助者は、根本的にはクライエントの問題に関わることはできない。問題を解決するのは、あくまでクライエント自身である。番組終盤に登場するハートキャッチさんのパワーアップした姿が「シルエットフォーム」と呼称されるのも、裏方・影に徹する援助者を象徴するようにも見える。
ソーシャル・ワークの重要な概念に、「エンパワメント」と言うものがある。クライエント自身で問題を解決できるように、援助者がクライエントの持っている力をに引き出すことを言う。プリキュアとデザトリアンの戦いを、茫然自失としながらも、クライエントは知覚している。そして、命がけで怪物と戦う可憐な少女の姿に、勇気をもらうのだ。正気に返った彼は、自身の心を弱らせた問題と再び向かい合おうとする。解決できるかどうかは分からないが、自分自身が向き合わなければならないことははっきりと分かっている。
ハートキャッチさんは、なぜ砂漠の使徒やデザトリアンと戦うのか。
人々を守りたい、悪を許せない、けれどそれ以上に『困っている人を放っておくことはできない』。2010年10月に公開されたハートキャッチさんの映画において主人公の口から出た言葉である。たとえ自分が、困っている人の問題を解決することはできないとしても。それでも、放っておくことはできない。かかわることで何かできる、何かが変わる。
ハートキャッチさんは、作中でも「チェンジ」をキーワードとして提示していた。事実、内向的で花を愛でることだけが喜びだった主人公は、仲間との出会いやプリキュアとしての経験を通じて、最終回では「宇宙飛行士になって、宇宙に花を咲かせたい」という壮大な夢を描くまでに「チェンジ」する。そして、プリキュアにかかわったすべての人々が、きっとどこかで「チェンジ」を感じたのではないだろうか。
先述の映画において『人と人は出会うことで、変わることができる』という旨の言葉が出てくる。人と人との出会い・かかわりが、お互いを変える。一見困難に見える事例でも、かかわりをつづけていれば、きっと光が見える。暗黒の宇宙にも、目を凝らせば無数の星が輝いているように。最終回、ハートキャッチさんは「星の瞳」を輝かせた。
福祉の仕事をご存知の方は「現場はそんなに甘くないよ」と思われるかも知れない。実際、人とかかわり続けるというのは途方もない時間とエネルギーを要する。だが、だからこそ敢えて言いたいのだ。福祉の仕事に就いている人に、あるいはこれから福祉、相談援助を学ぶ人に、今月16日、映画『ハートキャッチプリキュア! 花の都でファッションショー…ですか!?』のDVD&BDが発売されます。
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第5回批評祭参加作品