【批評祭参加作品】無意識と創造性
……とある蛙
※詩という創作活動はどのあたりから始まるのだろうか。
詩と散文を作る手段全般についての情報と意見交換の会議室で「あなたの詩の書き方をステップをおって説明してください」とういうテーマの時がありました。詩作の途中のプロセスからは良く分かるのですが、作り出す最初の部分が良く分からない。結局詩を書こうとする者の内面の無意識にあるものが意識まで登ってきて、何かもやもやっとしたものから作品が生まれるのではないかという感じがして、それについて、拙い頭で考えてみました。テーマは「無意識と創造性乃至独創性」です。
最近「日本語と日本人の心」岩波現代文庫という本を読みました。その第2部に「日本語と創造※性」というシンポジウムがありました。
パネラーは谷川俊太郎、大江健三郎、河合隼雄です。
その中で「無意識と創造の関係」について興味深い発言が大江、谷川両氏からなされました。
※創造…キリスト教の創世神話 神つくりたもう。昔日本語的にはなかった。
大江健三郎
(作家)
※無意識の表出が創造かという少し無理ふりな問題提起の仕方をしています。もちろん無意識を表出するについては意識を通さなければできませんが、即時性があるという前提で考えてください。
自分の無意識は黄金だと思っているー石原慎太郎、三島由紀夫らは夜郎自大にえばっている(笑)
そんな物があってたまるかー大江健三郎の考え。
自分の無意識が魅力的だとは到底思えない。それが普通の人間で、自分は普通の人間でいたいと思った。
無意識なものから生まれる 独創的なもの、創造的なものは無いと思う。 関係性の中からある言葉が決まる瞬間こそが独創性の生まれる時だとする。
結局言葉による創作は言葉という共通のものを用いながらそれを磨いて行く。いかに言葉に耳すますか(いろいろなことに注意を向けることー平等に漂える注意)ということだ とする。
谷川俊太郎
(詩人)
メカニズムは分からないが、沸いて出てきた数行の言葉、極端に言えばひとつながりの言葉を書く。
そこから言葉の海の中でイメージなり観念なりを定着させて行くような。
どうも主体的に創造している感覚は無い。
(私の考えは次のとおりです。)
二人の結論は全く正反対のようにも思える。しかし、ご両人ともソシュールが言うところのラングが豊かでなければ、創作活動(これはパロールである)も豊かになれないとしている。
ラング自体 時代相に左右されるから結局文芸作品は時代の子にならざるを得ない。その意味では大江のいうとおりたんなる無意識から文芸作品は生まれ得ない。
ただ谷川俊太郎の言うような機序で詩作がされることも多い。
私は無意識の中に言語化されること(つまり顕在化が予定されている無意識)と言語化されることの予定されない無意識があり、顕在化されることを前提と去れている無意識がラングの領域に既に存在しているのではないかと考えている。ただラング領域の無意識のみでは独創的な文芸作品は生まれない。下手をすれば過去の文芸作品のパッチワークのような作品が生まれる恐れもある。
想像ではあるが谷川の言う2、3行の言葉はランガージュ(ラングより以前の人類共通の言語能力でカテゴライズや抽象化をする能力です)から直接顕在化しているのではないかと考える。これは仏教用語と言えば識に該当する言葉である。もちろんソシュールはそのような機序について説明していない。
一方、丸山圭三郎著「言葉・狂気・エロス」講談社学術文庫という本も最近読みました。それにも無意識あるいは深層意識と言語芸術についての文章が所収されていました。表現と深層意識との関係を書いたもので、ソシュール研究の大家である著者の面目躍如となる著作である。
その中で 4章 深層の言葉と言語芸術という文章が所収されています。
※Jカレン 仏 精神分析医 思想家
カレンは無意識レベルの言語活動⇒夢に見る光景のようとしている。
※1 特定の意味とつながらない→置き換え
※2 停止していた複数意味のつながり→圧縮
音と意味との固定的なつながりは無い。
?音は自由に戯れて自己増殖する。連想
?音が紡ぐ言葉の連鎖
※3 語の音イメージがきっかけの語の連鎖
語呂合わせなど
「言語芸術の創造の源」→深層意識
結局、深層意識の中で特定の意味とつながらない置き換えや複数の意味の重なり合い圧縮などが行われる(丁度夢のように)
深層意識における識=対象を感覚知覚思考する働き
明確な分節性のないつぶやきのようなもの
それを意識レベルまで顕在化した際、言葉が決定され言語芸術が創造される。
さきほどの谷川の言葉から想起した問題あるいは詩のできるプロセスと同じ結論に落ち着きそうです。
それを踏まえて、喩に関して次のように定義付及び分類をしています。
メタファー(隠喩)ー類似性による置き換え 多義化圧縮
メトニミー(換喩)ー隣接性による連想 ex町が寝静まっている 分の多義化連想
シネクドック(堤踰)ー同上 ex明日のパン(食料の代表)を稼ぐ
表現の問題であるが、深層意識の中で行われる共通意識内での顕在化できる識の表現(難しくなってしまった)。
結局最初の二,三の言葉の多くは意識と関係のないどこからか降ってくる乃至は湧き出てくるわけですからかような考え方をしたわけであるが。
※もちろん意識されている問題あるいは二,三の言葉から書き始めることもあります。
※異化の問題も書いてあったのですが、言葉の殻を打ち破るというか詩には特に必要な要素か。また別途書くかも知れません。
(おまけ)
※ソシュールにおける言葉の分析及び概念について
?ランガージュ langage 生得的言語能力
カテゴライズ能力、抽象化能力 世界認識の道具
?ラング langue 国語体
?の社会的所産→?の顕在化であって社会が取り入れた必要 な契約総体
?パロール 発声された具体的言葉
特定の相手に発せられた
?→?→?顕在化
※事物に先立って事物と事物との関係が存在し、その関係が事物を決定する役割を果たす。言い換えると視点が事物を作る。
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第5回批評祭参加作品