...and Mary Chain / ****'03
小野 一縷
お父様と お母様の 夜の営み
その 家族計画の 失敗により
私は 部落の 長屋に 生まれました
つぶれた魚屋の生臭い あばら家に住んでいた
私よりも 貧相な 子たち
何故か その子たちが 無性に憎かったです
不潔で 貧乏で その上 臭い
たまに部屋で遊ぶと 三日は履きかえてない
毛玉と穴だらけの 靴下が とても とても臭かったです
その子たちを 出刃包丁で みんな
近々 殺してしまおうと 心に決めたのは 三歳のころでした
お父様と お母様の 昼の営み
その 努力と 苦労のおかげで
部落から 引っ越すことが できました
お二人とも 勤めがあったので
私は お爺様と お婆様に 育てられました
どうしても お母様が 恋しくて
お父様と お母様が出勤する時
「お願いだから 行かないで」と 泣いて
裸足で外に出て 車を 追いかけました
つまづいて 転んで ドブに落ちました
それでも 車は止まることなく 行ってしまいました
お爺様と お婆様が 走ってきて 私を引き上げて
お風呂に 入れてくれました
その時 私よりも お爺様と お婆様が 哀れに思えました
それは 四歳のころでした
冬は 煙突の付いた 石油ストーブを
朝から晩まで 焚きっぱなしでした
その ストーブの側に 横になって
テレビの 刑事ドラマを 見ていました
すると 意味が 分かりません テレビではなく
私は 絶叫しながら 踊り狂っている 私を見ていました
そんな私を 見て お兄様は あっけにとられ
お爺様は 慌て 叫び 駆け寄って 私を 抱き上げました
私自身に いつもの視点に 戻ると 全身が とても痛くて
両手を見ると 手の平も 指も全部 風船みたく
普段の五倍くらいに ブヨブヨと 膨らんでいました
ストーブの上で 湯を沸かしていた ヤカンが
私の上に 落ちてきたのだと 病室で 知りました
五歳のころでした
お父様と お母様は それ以降
お爺様と お婆様を 憎むようになりました
誰のせいでもないと 思っていた 私には
お父様と お母様の こころが 理解できませんでした
そして 長く入院することになりました
お母様が ずっと 付き添いしてくれる
そう 思っていたのに お母様は 勤めを休みませんでした
かわりに お婆様が ずっと ずっと 付き添いしてくれたのです
幼稚園で 友達が できました
なかでも「みっちゃん」とは 大の仲良しでした
「みっちゃん」は 体がすごく柔らかくて
足が早くて ドッジボールも上手でした
黄色いカバンに ガイコツのキーホルダーをつけて
ユラユラゆれる そのガイコツを みんなに自慢していました
別に 何の考えもなく 私は そのキーホルダーを 盗みました
自分のカバンの ポッケに入れて 知らないふり
「みっちゃん」は 泣きじゃくりました
それを見て 私は 全く 何も感じませんでした
家に帰ったら お父様に「そんなガイコツ持っていたかい?」と聞かれ
私が 何も言えず ムズムズ モジモジしていると
お爺様が「あー それはワシが買ってやったんだ」と
六歳のころでした
小五のころでした
友達の「よしきくん」と
彼の お父様 お母様につれられて ハイキングに行きました
ごちそうになった 味噌おにぎり 味が濃くて 美味しかったです
帰りに お土産屋で 私と「よしきくん」は
賽銭箱の かたちをした 貯金箱を買ってもらいました
その貯金箱を 手にとる時
近くのカゴに 入っていた 小さな石のお守りを 盗みました
石には「長寿」と書いてありました
家に着いてから お婆様に それをプレゼントしました
とても とても 喜んでくれました
私は いい事をしたなあ と思いました
それから
いろんな店で いろんな場で
時には 開いているレジから お金を
時には カギを壊して 自転車を
とにかく いろんな物を 盗み続けました
中一のころでした
近所のスーパーで いつも通り まず買い物をして ビニール袋を もらいます
その袋に 盗んだ物を 入れるのです
もう慣れっこで 普通に オマケ付きのキャラメルの箱を
ビニール袋に 自然な 手つきと 早さで 入れました
店の外に出て 自転車に 乗ろうとすると
険しい顔をした おばさまに 手を掴まれました
事務所に つれていかれ いろいろと言われましたが
全く耳に 入ってきませんでした 平然としていました
ああ しくじったなあ ツイてないや
しばらくすると 「お父さんか お母さんに 来てもらう」 と
店の事務所に着いた お母様は その場で 泣き崩れました
ここは 泣く場面なのだなと 考えて 私も泣きました
そして 店の外で先輩に「何か盗ってこい」と脅された と
そう言って ずっと頑張って ずっと泣き続けました
「そうなのか・・・うん それは かわいそうだ
では 今回は 特別に 学校へ 報告しません」と
私は 一瞬で「チョロい」と 思いました
可笑しくて こころのなかで 微笑みました
それから
クラス担任の 目つきと 態度が急変しました
「なるほど」 私は 納得しました
私は嘘つきです それを自覚して 過ごしてきました
きっと 同じく 大人も みんな
そう自覚して 生きているのだなと 思いました
あんなことや そんなことや こんなこと
お父様と お母様の あいだに
お二人と お爺様と お婆様の あいだに
そして 私との あいだに いろいろと ありました
いろいろと 分かったふりをして 学んだふりをして
折り合いをつけて 生きてきました
中学で 盗みは止めました
たしかに 盗みのスリルは魅力的ですが
大人になった今は むしろ 薬のほうが
何倍もスリルが あることを知りましたから
人には 嘘をつく自由があります
人には スリルを楽しむ自由があります
人には 快楽を求める自由があります
その為に 誰かは傷つきます
私には 誰かを傷つける自由があります
その為に 誰かは不幸になります
私には 誰かを不幸にする自由があります
誰もが 正しくあることを主張します
私は 不正であることを主張します
誰もが 健康である権利を主張します
私は 不健康である権利を主張します
誰もが 生きる権利を主張します
私は 死ぬ権利を主張します
誰もが 差別は いけない と 言います
誰もが 無差別は いけない と 言います
どちらも 嘘 と 嘘つきの 私は 言います
生きることに 誰もが 意義 責任 そして希望を 感じます
生きることに 私は 特に 別に 何も
とある人が
そう お金持ちで 仕事も家庭も充実していて
自称「人生を エンジョイしている」人が
私に 言いました
「かわいそうに」
その一言は チクリと 刺さりましたが
私は思いました 「かわいそう」と 人を蔑む この人は
「何が正しいのか」を 長ったらしい人生の中で 早々に 決めて
ごく気楽に生きて いるのだろうなと
わたしも その人を「かわいそう」と 思いました
いえ それは 嘘です
夜の喫茶店で その人と分かれて 後を つけました
人気のない 路地に入ったところで
私は その人を 押し倒し 強姦しました
キスも 愛撫も 無しの 生本番です
無理矢理 上に乗って グリグリと
腰を 回転グラインド そして はげしくピストン運動
一分も経たず あっけなく その人は 果てました
ことが終わると 急に その人は子犬のように
震えながら パンツを上げて 半ベソをかいて
小走りに 逃げて行きました ついでに
黒いオーストリッチの財布を 落としてくれたのが 嬉しかったです
その財布の お金で ハッサンから ベンゾ系を買いました
免許証と カード類は 四丁目ルートで パシリのガキに 渡しました
カンタの叔父様から 明後日 お金が入る 段取りです
ええ はい 何にしても ソーロー人の
言葉には 湿っぽい演技と 見栄臭さがあるので
聞いていると こちらが 惨めに なります
まあ これを機に その人 インド人・・・じゃなく
インポ人になれば 私の気分も もう少し晴れるかもしれません
ふと
たまに 心の底から 思います
「みんな 死ねばいい」と
いえ それよりも 思います
「私 死のう」 と
いえ それも 嘘です
「どうでも いい」
それが 一番の 本音です