詩、薬、病のこと等、ノートより寄稿
小野 一縷
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03/9
自戒として、あるいは、第「二者」の言葉として〜
「お前の言葉とやり方は、
以前からわたしに吐気を催させている。
なぜお前はいつまでも沼地に住んでいて、
自分自身が蛙や蝦蟇になったのか。
お前自身の血管の中に、腐って泡を立てている沼の血が
流れているのではないか。
だからお前は蛙の鳴声をあげ、誹謗ばかりしているのだ。
なぜお前は森に入らなかったのか。大地を耕さなかったのか。
大海は緑に茂る島々に満ちているではないか。
わたしはお前の軽蔑を軽蔑する。
そしてお前がわたしに警告するなら、
なぜお前はお前自身に警告しないのか。
わたしはわたしの軽蔑とわたしの警告の鳥とを、
ただ愛のなかから飛び立たせることにしている。
沼の中から飛び立たせるのではない。
泡を吹き立てる阿呆よ、いったいお前を不平の豚にした
そもそもの原因は何か。
それは誰もお前の気に入るように、
お前に媚びてくれないということだ。
それでお前はこの汚穢所に座りこんだのだ、
たえず不平をうなり散らす種に不自由しないために。
たえず復讐をする種に不自由しないために。
虚栄心にかられている阿呆よ。
つまりお前が吹き立ててる泡の全ては、復讐なのだ。
わたしはお前を見抜いている。
だが、お前の阿呆の言葉は、それに理がある場合でも、
わたしに損害をあたえる。
そしてお前がもっともっと理にかなった
わたしの言葉を口真似する場合でも、
お前は、お前がその言葉を口にすることによって、
不届きな所業をしているのだ。」
〜ツァラは かく語りし。
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02/9
仕事開始8時30分。
1時間ほどして、まず例の如く感情のバランスがとれなくなる。
悲しい。訳などない。ただ「悲しさそのもの」が湧いてくる。
絶対悲観に突入。この前は「死にたい」だった
今回は「死ぬ」。色々考えた。いつ実行するか。
どうやるかはもう決まっている。準備もある。
冷静・・とは言えないかも・・に「死にいたる」様子を想う。
唐突に涙で目が潤む。何度も。気持ちは変わらない。
決意すると、束の間気が楽になる。
しかしすぐ「悲しみ」に何度も襲われる。
脳内のセロトニン、ノルアドが枯渇に限りなく近いのだろう。
午後、楽に落ち着いて「死ぬ」ことを考える。
もう悲しみは殆ど出てこない。
このところカラ咳・たんがからまない咳・がやけに出る。
ダウナーが明らかに関係している模様。
手洗い場でそんな咳をしていると、突然嘔吐。
昼飯全部出た。鬱発症で吐くなんて経験ないこと。
03/1
自殺は卑劣だとか卑怯だとか
最悪の現実逃避だとか、以前見かけた。
そんな事を考え、想っている奴等はアンコたりてねぇ。
低学歴で低所得でヤク好きの自分ですらそう思う。
奴等は鬱病の存在を知らないのだろう。
こじらせて悪化すると「やがて自殺にいたる病」。
自殺にも色々ある。一絡げに自殺を考えてる馬鹿達。
誰が好んで死ぬ?
脳味噌が異常事態なんだ。こっちは。
風邪で咳がでるように、勝手に「死ぬ思い」が出る。
てめえらの常識や良識なんて、通用しない世界がある。
「責任」「世間体」他人が絡む隙なんかない。
パニックが発症したら、「それ」どころじゃない。
症状は「自我・精神・心の重大事件」だ。
自我が崩れてゆくのが分かる。その絶望感は恐怖そのもの。
そこには第三者はもちろん、二者もいない。
「自分」すらそこにはいない。いれない。
壊れてゆく。じっくりと、それを味わっている。ここで。
個人が廃人へ向かう道程・過程・経過だ。
もし鬱を感染させられるなら
馬鹿たち「善や正義」を恥もなく語る
無知者どもを集めて集団感染させてやりたい。
きっとその場で自ら命を絶つヤツもいるだろう。
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03/
ドープ好きで精神を病んでいる私は確かに異常だ。
以下、その私が詩に関して思うこと。だから偏。
詩人は詩を書かなくてはならない。
日記の延長で終わらぬように
独り言で終わらぬように。
感情の発露で終わらぬように。
難解なだけで終わらぬように。
自己陶酔で終わらぬように。
自己顕示で終わらぬように。
誰かの「心・芯・深・信・真」を動かす詩
それら「しん」を動かす表現を
成すことが詩人・表現者の最低限の責務。
何かあった。見た。聞いた。心が動いた。
喜怒哀楽であれ、何であれ心が動いたなら
詩人は言葉の用意を始めなければならない。
そしてペンを持って空白と向き合う。
しかしそれまでに、何日・何ヶ月・何年
時の隔てを必要とする場合がある。
熟成を待つ。早摘みにならぬように。
詩人は、一つ一つ選び抜いた言葉を元・源に
題、詩句、改行、行間、空白等を様々な方法で導き出す。
集中、無心、距離法、方程式
カット・フェードインアウト
変調、変拍子、上昇、下降
時に混乱、自失、それら全ての「ぶっ壊し」も。
動いた「しん」を表現する。何年かかっても。
死ぬまでにやり遂げればいい。
一篇でいい。
正気を生死を懸けて詩を、僅か一篇でいい、書けばいい。
だが、その間に動いた「しん」を腐らせてはいけない。
無かったことにしてはならない。
テーマは心の中に溢れている。
その「心が崩れてゆく」ならばそれは好機。
詩を書くことに使命を感じているならば。描けばいいその様を。
私にとって今こそ創作における、ベストな時期だ
享受せよ。今現在を。
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03/5
リンクさせて貰って、色々と書いた際は当然シラフだった訳で。
キメても価値観や読むセンスが、今更変わる事は無いし。
仮にトンでても「そこ」で感じたことを「言葉に昇華する」のは
所詮、私の技能とセンスに拠るのだから。
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02/12
レスリンはけっこう良い。よく眠れる。
やはり三時四時に意識が戻るのだが、目は「覚めない」。
ウトウトと眠りにまた落ちてゆく。
私の体は「徹底的な快楽」というものを憶えている。
心は狂喜という状態がどんなものか知っている。
だからなのか、何気ない日常〜平穏であることの喜びを
感じることができない。むしろ、そう・・・落ちてばかりいる。
自分にとって薬を飲むことは、病に抗するだけの意味に
留まらず、過去の経験から、快楽や覚醒感、酩酊や多幸感を
身体が求めてしまう嫌いがある。
意識の上で、そんな感覚など求めてはいない。
ただ肉体・身体が求めてしまう。
それらは震えや苦痛、発汗や目眩等「反応」として現れる。
「肉」が「心」に不満をこぼし、代価を「請求」する。
その気になれば、やり方なんていくらでも方法がある。
しかし、
前提として大事なものが、私の中には欠落している。
それは「快楽の類」では補完できないもの。
永遠。もしくは時間の完全停止。
何か、大事な何かが、決定的に、私には足りない。
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02/10
いつから、何故、精神はこんなにも弱々しく、
歪に、か細くなってしまったのか。
部落で生まれ育った。両親共働きであった。
幼少の頃、半身と両腕に火傷を負った。
五度にわたり下腹部と脇腹から植皮の手術。長い入院生活。
治療時の抜糸・処置の痛みは、幼い私にとって凄まじい恐怖の連続だった。
泣きわめき、嘘をつき、小便を漏らし、必死で抵抗した。
中学で捕まるまでボチボチと、窃盗、万引きをしていた。
兄は大卒で私よりずっと優秀。幸せな家庭を築いている。
人を虐めたこともあるし、また人に虐げられたこともある。
大学には行けず、就職もせず、専門学校で遊びほうけ中退。
友人、仲間は多かったがクスリを機に、自分のエゴが爆発。
完全に孤立。恋愛はふられたこともあるし、ふったこともある。
一通りの経験で「快楽と覚醒」「絶望と失墜」を繰り返す。
鬱の発症と精神衰弱を自覚。
03/
友人と先輩が精神科へ。そして二人とも施設行き。
薬物中毒を発端にした分裂症と人格障害、対人恐怖、ひきこもり
盗聴されてる。監視されている。
とある組織が自分の脳波をコントロールしている。
警察もグル。裏社会の存在。
明らかな被害妄想が彼らの唯一の事実、答えとなっている。
その答えを、きっと生涯大事にするだろう。
プライドをかけて、その答えを守り続けるだろう。
仮に檻から出たとして、何処に行けば、
彼らを救い・答えを肯定してくれる場所・社会・世間・世界が、あるのだろうか。
03/
鬱が酷くなる。その他、精神・神経・身体も辟易だ。
私も精神科へ通い始めた。
音楽と詩はいつだって側にある。バイクも手に入れた。
そして計らずも医者から合法的に必要性のあるドラッグを処方されている。
猫が欲しい。しかし家族は反対。
実家へ帰ってくる直前、飼っていた猫が車にひかれて死んでしまった。
自分の不注意のせいで。その経験は確実に鬱を悪化させた。
03/9
リスパダール。
血圧が上昇する。眠くなる。軽い眩暈がする。
トリプタノールを飲んだ感じに似ている。時折気分が少し晴れるが。重い薬だ。
ネットによるとセロトニンとドーパミン両方を「一時貯蓄」する薬らしい。
ならば、上がるはずなのだが。あまり上がらない。ただ下がることもない。
精神薬は本当に処方が難しいのだろう。胃薬や風邪薬のようにはいかない。
薬を飲むのも、疲れてきた、ただ、止めたところでどうなるのか
たかが知れている。
いつかまた底まで落ちれば、例の如く、死にたくなるだけだ。
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03/15
私は全くまともな生き方をしてきた。
必要なものを何時だって求めて、手にしてきた。そして失ってきた。
そしてまた手に入れる、いずれ失うとしても、必ず。
それらはいつだって、ここ「しん」の中にあるのだから。
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