something wrong_01
ehanov


プラットホームのベンチで私は友人と会話をしていたのだと思う
ひとりは男で、ひとりは女だった。彼等は20代後半で、私は彼等と映画の話をしていた。
それはひとりの男が電車内の椅子に座り頭を両手で抱えながら、昔観た映画のタイトルを思い出せなく苦悶している場面のある映画の話だった。
男は思い出せない映画のタイトルを思い出そうとしきりに汗を拭ったり瞬きをしていた。
しまいには席を立ち上がり、電車内の人やら物にぶつかりながら、うずくまり苦しそうに叫んだ。
「その映画が思い出せないんだよね。」と私は言った。
「昔、藤原さんにその映画のことについて尋ねたことがあるんだ。彼は、それはタルコフスキーじゃないか。と言うんだが、タルコフスキーにそんな映画はないだろうし、つまり彼はそのような作風を持っていない。いや、いったい誰の映画であったのだろうか。なんてタイトルなのだろうか。わからないな。」
藤原さんは含み笑いをしたあと、女の方をちらりと見た。藤原さんは元来眼鏡をかけていた、と私は記憶していたのだが、そのとき藤原さんは眼鏡をしていなかったので、それは藤原さんではなかったと思う。女も含み笑いをした。彼女の名前はわからなかった。顔がぼやけていたが美しい質感があり、ネックにファーのある暖かそうな白いコートを着ていた。それは冬だった。プラットホームは寒くて、そろそろ終電の発車する時刻だったように思う。0時だったか0時半だったか。私は彼等に別れを告げ、電車に乗った。彼等は口角を上げ、ベンチに座っていた。


車内は終電ということもあり混雑していた。私は映画のタイトルと藤原さんのことについて思っていた。映画の話をした彼は藤原さんだったのだろうか。彼は眼鏡をしていないから藤原さんではないと思うのだが、藤原さん以外に適当な名前が思いつかない。頭を両手で抱えながら、藤原さん以外の名前を思い出せそうだったが、暗い顔の影を取り除く手立てを藤原さんという人物に取り組むことで私は失くしていた。


電車は鶴岡という駅に泊まり、私は鶴岡で降りた。鶴岡で東京までの電車に乗換をしなければならないと、発車に関する電光板を見て知った。
鶴岡は閉散とした駅だった。改札が二つほどしかなく、駅員がひとりいた。駅員の顔は影で埋れていて表情がはっきりしなかったが口元だけははっきりみえた。三日月みたいな口をしていて、優しそうな人だと私は思った。
私は乗り換えたい旨を駅員に告げると、プラットホームは構内にあるからということで、先ほどとは別のプラットホームに案内された。
鶴岡の駅の外は草原があって、その向こうにビルや道路やらの灯りがある。灯りは温もりとしての希望だった。人の匂いがあるからだ。鶴岡から約二分、東京は近い。
降りた駅は東京だった。それはまるで、熱海ー小田原間に点在する駅の構造だと思った。駅を降りると、電灯が明滅しながら立ち並ぶ地下通路を通らなければ乗り換えができない。人が誰もいない東京駅に私はひとりでいた。乗り換えて渋谷へ行きたかった。渋谷へ行けば一夜を過ごせる場所がたくさんあるうえに、人が多いから寒くはないだろうと考えたからだ。磯の匂いと海のさざめきと黄ばんだ壁と薄暗い電灯をたくさん吸い込んで歩いて、私は山手線に向かいたかった。冷たい風が吹いた。


すべての運行は終了していた。0時半の終電までにはまだ時間があると思っていたのだが、しかしながら誰もいない。この辺りに宿はなく、外を見回すと、草原があって、その向こうにビルやら道路やらの灯りがある。
私は大崎駅から品川駅まで歩いて向かった過去の記憶を思い起こし、電車では数分で着く近さのところでも、歩きでは数十分かかることを知っていた。
ましてや東京駅から渋谷駅なら、歩きで数時間はかかるに違いないと思った。
草原に道はなく、夜空は紫色にぬかるんでいる。駅の電灯は立ち並び、明滅する。
ざわざわ、とどこかで騒がしかった。私以外には誰もいないと思ったし、実際誰もいないが、騒がしかった。
草原の向こうにはビルやら道路やらの街があり、ビルの中や道路の中には他人がいる。彼等の姿は見えなかった。顔も影にまみれて、意思疎通などかなわないだろう。それは私の制定した泥人形なのか、私を制定した異物の制定した私以外なのか。いずれにしても、他人は遠かった。胸の中が黒く夜に更けてゆくのを感じ、心で音が、からん、と鳴る。


私は駅の二つしかない改札口で外を眺めながら、煙草を飲もうとポケットを探った。
薄暗い風が私の全身を撫ぜるように絶対零度で吹き荒んだ。眼鏡をかけていない彼は、藤原さんでしかないと思った。


散文(批評随筆小説等) something wrong_01 Copyright ehanov 2011-02-06 20:29:18
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