無題
モリー

私は時々、こう考える。私以外の人間は存在せず、現実は全て私の夢で、その私はまだ生まれてさえいないのではないかと。
また、こうも思う。宇宙全体が本当はバスケットボールくらいの球で、アメリカ人の子供がいくつも<宇宙>をもっていてそれら同士をぶつけて遊んでいる。

二つの感覚は時に私を興奮させ、時に混乱させる。

『マトリックス』を初めて見たとき強い衝撃を受けた。まるで私の妄想を脚色し映像化しているように思えたからだ。まだ幼かった私は、「飼われている」という新しい発想が恐ろしくて堪らず世界の歪みを必死に探したりした。
中学生の頃、私は宇宙のことについて度々友人と生徒会室で話し込んでいた。反重力装置の話、宇宙の広さ、時空の個数など沢山情報交換をしたが、一番興味深かったのは二人ともから上記の考えを自分もしている、と聞いたことだった。彼女達も風呂場などの密室に入ると自分が居る空間以外は無い(闇が広がっている)のではという恐怖を日々味わってきたと言う。アメリカ人の子供の話も、多少違ったが似たようなことを思っていたらしい。私達は互いに「今生きてる?」「今生きてると聞いたあなたは本当に居る?」とか言い合って三人で笑って帰った。

私は怖い。
知覚の限界が世界の最果てであったら……。

私はテレビの電源に手を伸ばし、ポチと、赤を緑に変えた。



散文(批評随筆小説等) 無題 Copyright モリー 2011-01-29 19:11:15
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