<閑 話 休 題> 1
るか

 詩誌「荒地」について語るために、当時の時代背景と彼らのマニフェスト
について若干言及を致しましたが、ここで少々、現時点においては忘れられ
がちであるとも思われる日本文学史上の背景について、もう少し突っ込んだ
解説を試みたいと思います。その主な対象は「マルクス主義」です。場の規
則にも触れますので念のためお断りしておきますが、この文章はなるべくプ
ロパガンダ色を帯びることのないよう配慮しつつしたためるものです。
 東欧及びソ連の崩壊によって、長く文壇を覆っていたマルクス主義の権威
も失墜をしたことは誰もが認める所でしょう。今では、マルクス主義、と聴
いても、そもそも何のことだかわからない、あるいは、旧西側が流布した軽
侮と恐怖によって彩られたその曖昧模糊としたイメージのみが人々の心に去
来するに過ぎないかも知れません。しかし、殊に20世紀が到来してからの
芸術及び文学の歴史というものは、マルクス主義についての若干なりともの
了解なくして理解することは不可能です。20世紀の政治と文化とに影響を
発揮した最大の思潮、それが、カール・マルクスに端を発する様々な形態の
マルクス主義に他ならないという事実は、歴史家ならずとも誰しも容易に結
論づけることの可能な既定事実に他ならないといってよいでしょう。長く「
思想」という言葉は端的にマルクス主義を穏健に指示するものとして用いら
れてきました。
 カール・マルクス(1818ー1883)の生涯についての解説は、wik
ipediaに譲りましょう。その思想の目的は一言で申し上げるならば、「人間
解放」といってよいでしょう。どういうことか。マルクスは人間が古い様々
な社会的関係に拘束され、その本質である人間性の開花を、社会の真の発展が
阻害されているものとみていました。類的人間本質とは諸関係の総体である、
というテーゼの解釈はいまは措くとして、より具体的に申し上げれば、貧困に
喘ぐ労働者階級の存在があった。この社会問題を解決する道筋が、あらゆる人
間の「解放」に帰結するとみなしたのがマルクスでした。解放とは、拘束から
解き放たれること、自由になることですね。そのための科学的な思想たること
を標榜したのが、彼の衣鉢を継ぐマルクス主義というイデオロギーに他なりま
せん。マルクスは当初からその「科学的社会主義」の思想と運動とがインター
ナショナルに遂行されることを欲し、歴史教科書にあるような「インターナシ
ョナル」という団体を結成し、「革命家」としてまた理論家として、その内外
で働きました。
 しかし、政治と芸術との間に、何の関わりがあるでしょう?政治は寧ろ芸術
を蔑ろにし、政治と芸術とは無関係にあったほうが、お互いのためによいので
はないか?こうした見解は古くからありましたが、なぜ、数多くの文学者がマ
ルクス主義と関係を持ったのでしょう?
 先に少し触れたように、たとえばシュルレアリスムとマルキシズムの関係と
いうのは深いものがありましたが、どうしてそのような邂逅が起こり得たのか
。それは近代芸術・文学がヒューマニズムを基調としてきた事実に関係があり
ます。マルクス主義とヒューマニズムの関連と断絶とについては百家爭鳴の論
点のひとつではありますが、大まかにいって、このヒューマニズム(人間主義
・人本主義)の実践・現実化のための具体的な方途が長く存在しなかった。ヒ
ューマニズムの核心をなすものは、人間の「自由」であるとするならば、その
自由を普遍的・社会的に実現するための手段も方法も、人類は長く手にするこ
とがなかったのです。たとえば、フランスの哲学者であるアルチュセール(1
918−1990)などは、「後期マルクス」の、ヒューマニズムからの断絶を
強調致しましたが、少なくともマルクス主義の出自がヒューマニズムにあった
ことは、大方の賛同を得られるのではないかと思います。文学芸術の要求とし
てのヒューマニズムを介して、マルクス主義は、いわば文学芸術の社会的実践
のための手段たりうると看做されていたのでした。文学芸術に関係する人間主
義的なスローガンとしては、たとえば、「感性の解放」というようなものが即
座に念頭に浮かびますが、これは後述する日本のニューレフト(新左翼)の一
派たる、社青同(社会主義青年同盟)解放派が掲げたものであります。
 ヒューマニズムを介しての政治と芸術との邂逅という点でマルクス主義と競
い合う関係にある思潮には、アナーキズムがあります。これはシュティルナー
、プルードン、クロポトキン、日本ならば大杉栄などが有名です。セックスピ
ストルズというロンドンのパンクバンドが、I am an anarchist と歌った、
そのアナーキズムですね。これも広い意味でヒューマニズムである。目的とす
る理念は互いに重なり合いますが、理論と方法とをこの二つの思潮は異にして
いて、時に争い時に協力し、また一個人のなかでアナキズムとマルキシズムが
葛藤するような場合も少なくなかった。革新的気風のなかで社会意識に敏感で
あった文学者たちも、この二つの思潮の間を揺れ動いていた形跡があります。

 (管理者によって削除されなければ) 続く!
 
 


散文(批評随筆小説等)  <閑 話 休 題> 1 Copyright るか 2011-01-28 12:50:52
notebook Home 戻る  過去 未来