公民館
小川 葉
ひととひとのきょりがある
わたしたちは
こどくであるために
そのきょりをちぢめたり
とおざけたりして
こどくをいじしてきた
てんたいをふくむ
しぜんげんしょうとして
こうみんかんから
カラオケのおとがきこえる
にかいのステージから
とてもとおいうたごえがきこえる
しょうわのはじめのうた
あるいはもっとむかしのうたも
こうみんかんからきこえてくる
ひぐらしがないている
なつもじきにおわる
うたごえはやまないまま
わたしはやはり
はやくひとりになりたかった
うまれたとか
しんだとか
わたしたちはいきているうちに
なんどもきいてきた
そのあいだにあったことは
あったんだから
あったんだろうと
ふとドリフのコントをみていた
コマーシャルのあいだに
わだいになることもあった
そしてわらった
こうみんかんから
きこえるこえは
もしかしたら
ししゃのこえかもしれなくて
ふしぎになつかしかった
ききおぼえのある
そのこえが
ちちにもにていたからだ
このあたりのじゅうみんは
とてもかおがにている
こえもはなしかたもにている
ひとがあるいていると
それはいつかのわたしではないかと
さっかくしたりもする
わたしはまだ
いきているのかもしれない
ちちのしがいをゆさぶった
こうみんかんは
ちかいうちに
とりこわされるのだという
かつてこのかいわいで
もっともきんだいてきなたてものが
あめいろのおもいでとともに
きえていく