「荒地」を読むための諸前提 2
るか

  

  「僕等は詩についてどこまでも語りうる。それは生と形式の問題であって、
   どのようにも論ずることが可能である。」
  「詩について考えることは、とりも直さず僕達の精神とを結びつける架橋
   工作である。」
  「僕達各個人が如何に分裂し、…内乱状態にあろうとも、なおひとつの無
   名にして共同なる社会において、離れ難く結び合っていること…。」

 「Xへの献辞」は、このように続いています。
 <無名にして共同なる社会>とは何でしょう。おそらく鮎川ら荒地派の人々に
は、作者と読者、読者と読者、作者と作者との、精神と精神とが「架橋」される
ことで形作られる想像的な社会が思い浮かべられていたのではないでしょうか。
それは、ひとつの<詩の場所>、詩的ユートピアとも言い換えられるかもしれま
せん。じつは鮎川個人の思想にはユートピア主義の陰は薄く、マルクス主義に対
しては常に批判的でしたが、多くの詩人がそうであるように、鮎川の胸中にもユ
ートピアへの意志が存在していたことは、作品「アメリカ」を読むと理解できま
す。
 
  「アメリカ…」
  もっと荘重に もっと全人類のために
  すべての人々の面前で語りたかった
  反コロンブスはアメリカを発見せず
  非ジェファーソンは独立宣言に署名しない
  われわれのアメリカはまだ発見されていないと

  (…)
  ああ いつの日からか
  熱烈に夢みている

 のちに「私のユートピア」というエッセイのなかで、鮎川は、自分はユートピ
アを信じる心をとうになくしてしまった、と書いていますが、これは楽観的なユ
ートピストを戒める誇張のように私には思えます。しかし、大東亜共栄圏とソ連
というユートピアの惨状を見聞して猶、ユートピアを云々することは、倫理的に
はばかられるとの思いはあったかも知れません。
 敗戦の激烈な体験のなかで夢みられた、ユートピアとしての「アメリカ」。そ
れは現実のアメリカに対して、「反」ないし「非」の関係にあるような仮構です
。戦後の復興の道程にも、マルクス主義的な左翼の方向性とも異なる独自の詩的
な仮構であって、故に鮎川は自己を「必敗者」と高らかに宣言して憚らなかった
。時代の流れとは一線を画して存在し続けるその敗残の場所には、戦死した詩友
の姿があったことでしょう。このように戦争体験に固執してそれを押し流して進
もうとする時代の流れに反抗する姿勢は、後続の、吉本隆明にあって、より明瞭
に現れてくるのでした。



引用:現代詩手帖1月臨時増刊荒地戦後詩の原点(1972、思潮社)
   鮎川信夫 1937-1970 鮎川信夫自撰詩集(1971、立風書房) 

 


散文(批評随筆小説等) 「荒地」を読むための諸前提 2 Copyright るか 2011-01-27 10:47:13
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