蛾兆ボルカさん、それはちがいますよ
紙飛行機

     【不屈の闘魂は、キモチじゃなくて身体に宿る】  蛾兆ボルカ
         http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=226261

  今朝、遅く起きて食事をしていたら、テーブルに「ハヤブサ−そうまでして君は」という本が
  置かれていた。ハヤブサのプロジェクトの発案者が書いた本だ。家族の間で流行っているらし
  い。
  私はその書名を見て、笑わざるを得なかった。ハヤブサは頑張ったかもしれない。しかし頑張っ
  たのは、頑張るようにプログラムされていたからであり、そうプログラムした本人が、「そう
  までして」とは珍妙だ。そうするように作ったのではないか。


どうもわからない。
「ハヤブサが頑張った」のは、「頑張るようにプログラムされていた」からなのだろうか?
いや、そもそも........わが親愛なるボルカさんにお尋ねしたい。
「頑張るプログラム」ってどんなプログラムなんでしょうか?
そんなプログラムがあるのならぜひ、ぼくの愛車にも組み込んでみたい。
ぼくの愛車は、きっと「頑張る」ようになるに違いない。
「頑張る」というのがなんのことだかしらないけど。(笑)
そんなことより、
「そうまでして君は」という書名を見ただけでどうして「ハヤブサは・頑張った」と断定したのかな?
わが親愛なるボルカさんは本を読まないで表題だけで即断したそうだが、
「そうまでして君は」のあとには、
さまざまなシチュエーションがあることにお気づきにならないか?

 「そうまでして君は  女の尻を追いかけまわすのか」
 「そうまでして君は  おれを侮辱するのか?」
 「そうまでして君は  鼻の穴からウドンを出そうとするのだな」etc

「ハヤブサーそうまでして君は」という書名を見ただけで朝からかってに苦笑し、ハヤブサは
「頑張るプログラム」を組み込まれていたから「頑張った」のだと速断されたのは、
わが親愛なるボルカさんらしいとはいえ、わからないなあ、このへんの頭の動きがわたしには。
皆目わからない。
もっとも考えようによっては、

 「そうまでして君は(がんばって)女の尻を追いかけまわすのか」
 「そうまでして君は(がんばって)おれを侮辱するのか?」
 「そうまでして君は(がんばって)鼻の穴からウドンを出そうとするのだな」etc

という隠れた詞句が前に置かれていると考えられなくもないが、ふつう鼻の穴からウドンを出すのに、
周囲が、がんばってとはいわない.......だろうなあ。
わが愛すべきボルカさんの、わけのわからない頭の動きは以後もつづくのだ。

  しかし、笑ったあとで私は、やはりこの書名で正しいのだ、と思わずにいられなくもあった。
  探索機ハヤブサが、我々に気付かせてくれることは、そうプログラムされている、というこ
  とと、それが行われた、ということは、質的に異なるということだったからだ。

わが親愛なるボルカさん。
本を読まないで、また、実際にハヤブサに仕組まれたプログラムの内訳も知らないで「そう(頑張るように)プロ
グラムされている」
とは、はて、どうプログラムされているのでしょうか?
あまりボルカさんを虐めるのはナニですから種明かしをすると、頑張ったのはハヤブサではなくそれを遠隔操作・
操縦する技術者のほうだったんですよ。
ハヤブサは予定の(プログラムされた)軌道からそれたのです。
ふつうはそこでもう終わりです。回収不可能だと思われるような事態でした。
それを、不屈の闘志と頑張りでもって技術者たちがハヤブサをもとの軌道に戻した。
もう、おわかりでしょう? あの本において、
技術者たちは自分たちチームの頑張りをハヤブサに託して讃えているのです。
こんなもの詩を書く方ならあたりまえの隠喩的手法じゃないすか。
 
さて、ボルカさんの混乱ぶりはますますひどくなる。

  手塚治虫の鉄腕アトムは、人工知能が制御する人体型ロボットだった。
  その物語では、プログラムされた人工知能であってもそれが実際にそこに存在してしまったら、
  人格として扱う以外にない、という状況が背景の社会状況として描かれている。

首をひねるような意味不明な発言です。
別に「人工知能であっても」どころか、そうじゃなくても「それがそこに存在してしまったら」わたしたちはそれを
人格として扱いますよ?
犬でも猫でも、言葉の通じない相手に語りかけるのは、犬猫を人格として扱うからですよ。
たいせつな茶碗を綿衣で包み、ときどき箱から取り出しては手で揉むように感触を愉しみ、愛でる。
そのとき、一個の無機物はその人にとっては人格化されている。
あたりまえのことじゃないですか。
「それが実際にそこに存在してしまったら、人格として扱う以外にない、という状況が背景の社会状況として
描かれている。」?
いったいどんな社会状況なんですか。社会状況関係ないですよ。古代だろうが未来だろうが、人間はいつでもその
気になれば無機物だろうが埃だろうが蛆虫だろうが人格化するときはするんです。
ここまで説明すれば、ボルカさんが主張する以下の文章はむしろ「非人間と人間を峻別する」一種の偏見と差別で
あることがわかってくるのじゃないですか。

  そこで行われる思考実験は、人工知能にとって、道徳、正義、生命、愛、差別、不正、傲慢、
  戦争、殺戮とは何かということであるが、結局、それらが問題で有り得るほど、アトムは人格
  なのである、ということは認めざるをえないほど説得力をもって描かれたのであった。
  正義であるようにプログラムされた、というだけでは物語は終われない。そうプログラムされた
  存在がどう行為するか、ということを通じて、我々はアトムについて様々な思考実験を強いられ
  たのである。

ボルカさんにとってアトムは大人の正義のいわば「ダッチワイフ」だったのかな。
でも、ふつうに考えれば子供たちにとってアトムは「人工知能」でもなければなんでもない。
「かわいい英雄」、子供たちと等身大のかわいい英雄以外のなにものでもなかった。
アトムの「ロボット」という設定から、アトムを「非人間」と、とらえ、「非人間の正義遂行の物語」として読んだのは
結局、最後まで人間の生活関係のなかに入ってきた存在をまるごと受け入れることのできない、
存在を非人間と人間とに峻別せざるをえないお悧巧な人間の感性や思想だったのではないのかな?

  ハヤブサもそういう意味では同じだ。
  小惑星イトカワは、海外の研究者は写真についたゴミと見なしていたような、塵のような惑星である。
  その大きさは大型トレーラー一台程度でしかない。
  宇宙を旅してそこで作業するためには、行動予定を固定的にプログラムするだけで足りるわけもない。
  現場判断で自己制御する人工知能が必要であったことは想像にかたくない。

これは違いますねえ。
ハヤブサはそんな設計にはなっておりません。
たとえば、
ロシアの衛星ロケットはほとんど失敗のない優秀なものですが、最新のICが使われているわけではなく、ときには
わざと真空管なんかが使われている。
むかし函館空港へ、ロシアの空軍大佐かなにかが最新のジェット戦闘機Mig-25で亡命したとき、出力部の電子装置に真空管
が使われていたので新聞でも大騒ぎになりましたが、
じつは大切な部分は真空管のような【原始的」?なもののほうが信頼性が高い。
ハヤブサもプロペラ飛行機に使われるような、ふつうの自律運行システムは搭載していましたが、コンピューター
部分は最新ではなく、
逆に五、六年遅れの旧式が使われている。そのほうが信頼性が高いからです。
もちろん人工知能なんか組み込まれておりません。人工知能はまだ完成され円熟したものではなく開発段階です。
開発段階の信頼性のないもの使えませんよ。

  その人工知能を作成する際、作成者が不屈の闘魂をハヤブサに叩き込んだのであろう。

それはボルカさん、あなたの脳内世界ですよ。
もちろん、おっしゃりたかったことの肝は以下のご主張なんでしょう。

  それがどのようなアルゴリズムであったか私は知らないが、離れて眺めてしまえば、人間がならべた一
  連の文字列にすぎない。べつに「精神」だの「エーテル」だのを入れる儀式があったわけではなかろう。
  だが、それがそうであるということと、ハヤブサが実際に頑張るということは、天満博士がアトムをプ
  ログラムしたことと、アトムが良心を根拠にプルートと戦う、ということの差に匹敵するほど違うので
  ある。

だから「プログラム」と実際に「頑張る」ことの違いを述べてくださいよ。
具体的に何が、どう違うのですか?
あなたぜんぜん・なにひとつ・わかっていないじゃないですか。
ただ、「違う」というだけで、ぜんぜん、なにひとつ、たったそれ以外なにも言ってない。
それともボルカさんらしく、なにかな、「気合」でわかってほしいのだと?
不屈の闘魂は、キモチじゃなくて身体に宿る。それは気合でわかるだろ?
それならそもそも人工チン.......じゃなかった人工知能いらねえよなあ。

  私はまだ「ハヤブサ−そうまでして君は」を読んでいない。
  当分読まないだろう。

  しかし、そうしたわけでこの書名には感銘を受けたのだった。

はぁ〜?
なんだかすごくよくわからないけど、さすが、ボルカさんだ。
すごい。♪


散文(批評随筆小説等) 蛾兆ボルカさん、それはちがいますよ Copyright 紙飛行機 2011-01-26 10:25:27
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