なゐ
yumekyo

止まったままの 時がある
針が曲がってベルトをなくした
金時計の中に
とどまっている

休まず刻んだ針が
不意に歩みを止めた
大地の奥深くから轟音が猛然と駆け上がり
アスファルトの道が引き裂かれ
中から火輪に覆われた龍が飛び出し
果ての果てまで駆け抜けた
ぽつりぽつり灯り始めた光は闇に押し圧されて
一瞬の後
激しく北風の鳴る音がした

飛び出した者達は
悪い夢の続きを見ているのだと思った
互いに顔を見合わせて
信じないと頷きあった
やがて空が白みはじめて
傍らに眠る家族が 仲間が
息をしていないことに気付き始める
厳しい朝の冷え込みと
事実のあまりの冷厳さに
嗚咽もまた凍り付いた

何もやってこなかった
そう 何もやってこなかった
東へ向かう通勤列車の駆け抜ける音も
新聞を配るスクーターの軽快なエンジン音も
パンが焼ける音も 味噌汁の炊ける音も
近代的な 人の営みを示す音は
何もやってこなかった
頭が痛くて 鼻がもげそうだよ
ひどく焦げ臭い匂いがしていた

完全に機能を停止した大都市
流言飛語が飛び始めた
街の外から救援物資を積んだトラックがやってきて
法外な値段で食料を売りつけているから気をつけろ
憲法9条に違反するから即刻退去しろと
自衛隊を追い返す市民団体が居るから気をつけろ
灯りのない夜がやってきて
忌み嫌われた野良猫はすっかり影を潜めて
かわりに野良犬の遠吠えが月夜に殷々と響き渡る
着の身着のままの体で
肩を寄せ合って怯えた

心に修復不可能なほどの大きな楔を打ち込まれて
疼痛にのた打ち回る日々
それでも前に進まなきゃいけないことに
気付く
挨拶もしたことがない隣人と手をとった
おはよう こんにちは おつかれさん
慣れない手つきで瓦礫を取り除いて
焼け跡をきれいに掃除して
嗚呼 ここで毎日寝起きしていたんだって
つぶやいては 冬空を見上げる
あの日に凍りついた嗚咽が
昼下がりの太陽に解かされて
体内に満ちた

毎日毎日 まったく知らない
まったく別の人々と出会った
言葉さえ違って 会話するのも不便だったことがある
この街には この星には
こんなにたくさんの人が住んでいて
こんなにたくさんの人が 僕らに関心を持っていて
こんなにたくさんの人の 熱意に満ちた血潮が漲る
ありがとう ありがとう 
ありがとう
頑張るから ここから力強く また前に進む為に

あらゆる善意と 汗と努力が注ぎ込まれて
隅々まで装いを新たにした街は
なぜか とっつきにくい場所に変わっていた
ここで生まれてここで育って
他に知った土地などないのにやけに気を遣う場所だった
ニュースで流れ 世界中の人々が固唾を呑んで見守った
焼け野原の下町
節介焼きのオバチャンもろともお好み焼き屋が消えて
酔っ払ったオッサンもろとも小さな児童公園が消えて
放課後のワルガキもろとも路地裏が消えて
都心に近い交通至便な場所としてマンションが林立する
住まうのは街の外から来た人々ばかりで
隣人と挨拶をすることもない

風化する 風化する
語り継げ 語り継げ 語り継がなければならない
何を語り継ぐんだい
炎の中で腕にすべての生命力を込めて
白み始めた空を真っ直ぐに指差してこときれた
失った家族の事を語り継ぐ?

すべてを失って 変わってしまった街にもなじめないで
他所の街に出た人も多いんだ
南関東、東海、南海地震の発生確率はほぼ100%とも言われる
自分を知らないスクランブル交差点にほっとするかたわら
この道も裂けて 火輪を纏った龍と疾風が駆け抜けて
ひしゃげてしまう時がまたやってくるのだ
あの時と比較して肌を差す風は一段と冷たくなったようだ
仕事を求めて見知らぬ街を点々とする若者達
守銭奴と化した老人達 我が家だけを守ろうとする親御達
義務から逃げまとうばかり あるいはクレームをつけるばかり
挨拶をしたこともない隣人と手をとって前に進むことは出来るだろうか
やがて来るときに

それから何年も経った
子供達が一心に手を合わす風景が世界中を駆け巡った
あの日を知らない子供達だった
街では着々と 次の命が芽吹き 美しい花を咲かせていたんだ
心ある大人たちが後に続き
いまだに残る傷跡のあること 凍りついたままの想いがあることを
確認しあって うなずき合った
小さな灯を携えて 再び行かなければならない
何もかも消え去った街に
一切合切を知る者たちが向かう
一歩ずつ 一歩ずつ 願いを込めて 祈りを込めて

止まったままの時がある
針が曲がってベルトをなくした
金時計の中にとどまっている
2011年 1月17日 午前5時46分
昨夜から降り続いた雪が神戸の街をうっすらと染めていた
凍りついた息を吐き 目を閉じ 手を合わせる
温かい灯の元に 帰り来る魂
この場所にも 時は止まったまま 止まっている

おかえり おかえり 今年も帰ってきたんだね


なゐ知らぬ若き命の合わす手に白雪となり魂魄の積む 夢京


自由詩 なゐ Copyright yumekyo 2011-01-24 00:05:51
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