Black and Blue
ホロウ・シカエルボク


週末の浮かれ者たちが往来を闊歩するせいで緩やかな眠りを逃した日曜の朝、ストーンズは肉体のビートに乗ってネグリータと叫び続け、ディスプレイに日光が当たるのを防ぐために午前中は開けられないカーテンのせいで、天井に灯された人工的な白色は微細な稼働音を呟きつづけ、電気ストーブが存在意義を探すように首を振りながらそれよりは少しだけ大きな声で泣きつづけている。身体は重くもなく軽くもなく、つまるところつかみどころがない。週末は時々忌々しい浮遊感をもって実体をあやふやにする。キーを叩きつづけるのならそういう遊び程度の憂鬱も格好の材料には違いない。部屋の一番底を流れるメロディ、存在の一番朦朧とした海域を漂流する40年前に造られた船。泣くなんて馬鹿なことよ、って、幼い少女は言うのさ、そうだとも、君は泣きながら生まれてきてまだいくらも経っていないもの。朝食の砂糖をまぶしたトーストとブラックコーヒーが胃の中で失望して声を上げる。彼らは体液と融合して固形と液体の間で苛々を覚えている。スネアドラムが少し強い一撃を放つときにそれらがすべて浄化してくれればいいのだが。すべてが嘔吐に変わる時代があった、食物が消化器官をうろつくたびに脳裏に蘇る感覚がある。食道の逆流を防止する弁はあのころに少し馬鹿になった。肉体の上から胃袋をおさえる。そういう感覚がちゃんとある。大丈夫だ、なにも問題はないと胃袋のやつは言う。日常の中で口を閉ざしたままでいるとそういうものたちと会話が出来るようになる。世間というやつはいちいち言葉を吐きたがる。そうすることでしかなにかを証明出来ないというみたいに。あるいは本当にそうかもしれない。世間というものが存在を証明しているというふうにこの目には映ったことがない。あるいはその原因は傲慢さなのかもしれない。あちら側の原因も。こちら側の原因も。だったらなんだ。生きてきたという事実に蓋をすることは出来ない。誰もが自分の足取りを肯定したがる。難儀なのは、その足跡を幾分大目に語ろうとしてしまうことさ。便所に行く。水を飲む。すべてが溶けたばかりのクラッシュアイスみたいに満遍なく冷えている。爪先から冬が這い上がってくる、それはフィジカルな放電を要求する。けれど闇雲に電圧なんか上げるべきじゃない。時々は血流にウンザリして背もたれに身体をもたせたままでいる。休日。誰が何を休んでいる。これで休めると思ったことがない。なにかが終わればなにかが生まれてくる。生殖器官が活動し続けるウミガメの尻みたいに。価値と無価値がそれぞれに立ち位置を躊躇っているようなものがぽろぽろとぽろぽろと零れ落ちてくる。指の間から…指の間から落つるものとは、本当はそれのことではなかったのか?すでに逝ってしまった者はなにも語ることがない。必要以上に権威と純粋を張り付けられて、居心地の悪い神みたいに記念されている。やつらだってきっと時々は陰茎を握りしめていただろうにさ。ブラウン管とは相性が悪い。今日はまだ何も見てはいない。カーテン越しに日常が段々と照射を強くする。もうすぐこの心はその光に誘われて、哀れな虫のように街に彷徨い出るのだ。


自由詩 Black and Blue Copyright ホロウ・シカエルボク 2011-01-23 10:26:23
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